【Diary(2006年1月)】


【SMAPに関しては
こちら です】



(1/31)

29日の日は神戸の南京町に朝から行って、比較的暖かな一日で海辺の方にも散歩がてらに行き、神戸大丸近辺の旧居留地の情緒を楽しんできたのですが、翌日から又風邪。
前回ほど症状は重くはなかったのですが、お腹に来るのできついです。
インフルエンザじゃないので、とにかく生薬飲んでマッサージして、何とか治って来ました。
南京町のお祭は、本当に華やかで良かったです。
京都は毎日のように行事があって節分とかも各神社催しがあるけれど、こう言うお正月の獅子舞とかもっと商店街でやって欲しいな。
強いては街の活性化に繋がると思います。
祭と言うものが、神社だけのものではなくもっと庶民レベルで盛り上がれば、経済も活気付くのではないかしら。

注文していたミモザの香りが届きました。
やっぱりミモザってなにかこう草の匂いと言うか青臭いような香りなのね。
柑橘系やラベンダーと混ぜて自分だけのミモザ香水作って見ました。
なかなか女らしい香りになりました。

ライブドア騒動。
やっぱり何かがどこか変・・・と思う。
確かに、ホリエモンはちょっとやりすぎたし間も抜けていた・・・と思います。
だけど、今回の事で一番喜んでるのは、ホリエモンのした証券取引法違反以上にもっと色々妙なにおいのする旧体制のきな臭いお爺さん達。
それが一番変。



(1/28)

今日も少し暖かでした。

明日は旧暦のお正月と言う事で、神戸南京町の中華街でも春節のイベントが行われるとか。
お天気も良さそうなので行ってみようと思います。
混むかしら・・・・・



(1/27)

今日も寒かったですが、昨日より暖かくなった気がします。

IT業界は虚業・・・と言われます。
確かに、実体のないコンピューター上の仮想空間で数字が動く。
情報操作ひとつで数億円になったり一瞬にしてマイナスになってバブルが吹っ飛んだりする。
けれど流通をそこで起こし、それを実業に結びつければ莫大な実益が生まれるという利点がある。
コンピューターと繋ぐだけで、いながらにして世界を動かせるという訳です。
考えてみたら、江戸時代に士農工商の商がなんで最後だったかって言えば、「士」は武器でもって人々を守り支配する層だからですが、「農」と「工」が生産者であるのに対して、「商」は自分では生み出さずに右から左へ動かす事で利益を儲ける口八丁だからって聞いたことがあります。
しかしその「商」が流通を生み出すことで初めて活性化し、いろんなものが絡み合って動き出す。
で、結局その「商」が力を持ってきたのが江戸末期から続いて今日この頃の世の中のような気がする。
それがコンピューターに代わって規模がでかくなっただけ。
だけど、結局投機売買みたいなものは一か八かの賭けみたいな部分が全てか無かの虚業になるんでしょうね。
そっちばっかりに偏るからよね。
たとえば、株式ってもともとは明日値が上がるだろうからって昨日今日のギリギリ状態で買うもんじゃない。
それじゃあ一種の博打だ。
実業でしっかりバックアップして資産を作って、その上での一部金を使って運用する。
確実に儲けられる実業の柱があってこそ出来るし、冷静な判断力をしっかり養わなきゃ出来るものではないでしょう。
ITとはあくまで手段です。
目的のための手段を、手段のための手段にしちゃいけない。
されどその手段のパワーは、今までになく素晴らしいものだから、いい形で伸ばして行って欲しいんです。
今回のライブドア騒動は、なんとなくホリエモンという100年に一度のパワーの持ち主の手の先で日本中が踊らされた感あり。
旧勢力を甘く見すぎて、又小手先に走りすぎて策におぼれたのが彼の今回の失敗だったような気もしてる。
しかし、何かを仕掛けて流通を起こすという能力はもう、すごい能力です。
悪い事(笑)をやるには人が良すぎてどこか抜けてて、ぼろを出しすぎたって気がするけど実に惜しい。
これが戦争だというなら、孫子兵法詭道大いに結構。
しかしフェアを基本とする土壌に於いてはそういう訳には行かないでしょうね。
しかし彼はまだ若い。
今回の失敗に学んで、フェアな形で新たなる成長を遂げてくれないでしょうか。
私は、ステージ型のパフォーマンスと言うものはこれからの日本には必要なんじゃないかと思っています。
出る杭はとにかく打って潰すばかりの今の日本経済の状態では、古狸ばかりが陰ではびこって法の目を逃れる旧体制のまま。
ホリエモンを非難する某爺さんたちが、人のこと言えたもんじゃないだろうとどうもきな臭いんですよね。



(1/26)

今日は久々にボルシチを作りました。
昔、レストラン「キエフ」の料理長に教えていただいた作り方を参考にしました。
材料はシチューですので好みで目分量。
出汁が味の決め手と言う事で、牛バラ肉を鶏がらやハーブ、香味野菜と共にじっくり5時間煮込みました。
寒い冬にふさわしい温かい料理になりました。



(1/25)

今日は北野天満宮の初天神に行って来ました。
まずは御参り。
普通の梅は一輪咲いているのみでしたが、蝋梅が丁度咲いていました。
今年は結構いい写真が一杯撮れたように思います。
香りも甘く芳しい大人の女の香り。
私の先生が良く作っておられた香に似ています。
そのあと、天神さんの初市で少々お買い物。
そして天満宮近くのあわ餅を食べて帰りました。

ライブドアショック、ようやく目処が立ってきたような。
ホリエモンはやっぱり良くも悪くもすごい龍だったなあと改めて思います。
私はやっぱり彼は稀に見る資質とパワーの人だと思う。
まだ若いし、勉強ばかりしてきたので世間的な常識を結構知らなかったりやり過ぎて敵を作りすぎたりその敵を甘く考えすぎたりする部分はあるけれど。
私は、彼が口にする「金」は単なるコードナンバーで、「面白い事」を求めていたに過ぎなかったのでは、と思うのです。
その証拠に彼は極めて飽きっぽい。
本当の意味で彼を最後まで燃えさせてくれるものを見つけているのか?と言ったらこれまた疑問。
実際、犯した罪があるならしっかり償うべきとは思います。
いわゆる根の悪い人間ではないなというのは、これまで色々出てきて喋ったり失敗したりした人間臭い部分を一杯見て思うことではあるんですが、やっぱりまだ青いと言うか若かった。
今回の事はまさに本能寺の不意打ちですね。
人間挫折は必要です。
今こそ、全てを投げ出して裸一貫になって、再び決起して欲しい。
そういう夢を見させてくれる人材だと思う。
あの人材を育て導いてくれる人はいなかったのか?
ライブドアの新社長については、あのナベツネ爺さんが支援してる気配だから何とか上手く行くんじゃない?
ごく普通のただの会社になってしまいそうですが。
しかし・・・・・フューザーの件でもライブドアの件でも、事の本質を問わずにすぐ政敵落しに走る一部政治家爺さんたちは嫌い。
特に亀井さんなんて・・・・・
誰が対抗馬に来ようと自分がしっかりしてればそれでいい事なのに、いわば若造が自分の選挙区に来たからってあんなに暴言はきまくって自分の恥部を晒しちゃいかん。
要は追い上げられたのは自分個人に由来する事だと反省して欲しいです。

 

 



(1/23)

今日は昼前に雪が降っていたようで、昼から外に出たら雪の後が見えました。
寒いです。
2月に向けてますます寒くなるのでしょう。
でも、梅の花はもう咲き始めている筈。
今年の蝋梅は?
蝋梅は今が咲き時ですが、今年は雪で遅いかしら?
北野天満宮に咲いているのを毎年見に行くのですが、初天神の日は行けそうにないので別の日を見計らって見に行こう。
今日は寒いし風邪が直ったばかりなのでパスしましたが。
まだ少女の頃は富山に住んでいたので、少し遅い春を今か今かと待ちわび、自分の中の「今年の春」と重ね合わせて梅が咲くのを待っていました。
一番印象的だった梅は、大学合格が決まる直前に見た金沢兼六園の梅の花。
北国の春って、本当に美しい。
それは、長い冬に耐えて咲き出した花々の喜びだから。
そんな一途な梅の花が好きです。
そう言えば、巨人の星で花形が明子の事を梅の花に喩えていたっけ。



(1/22)

金曜日の夜から妙に寒気がして毛布に包まりながらテレビとか見ていたのですが、風邪を引きました。
体の節々がガンガン痛くてこびり付く様。
毛布に包まっても体もなかなか温まらず、生薬入りの風邪薬を飲んで寝ていたのですが、汗をかいたのがようやく土曜日の昼頃。
お腹に来たようで食欲が無かったのですが、全身マッサージもして貰って何度か汗をかいて土曜日の夜苺を食べたころから食欲も出てきました。
腰の辺りをだいぶマッサージしてもらったのも良かったのかしら。
結局お医者さんには行かず、睡眠と生薬入りの風邪薬とマッサージで済ませました。
インフルエンザだとそんなわけには行きませんが。
熱も結局測らずじまいでしたが、お腹に来ていたのは確かでしょう。
体の痛みも、こういう時のってヒリヒリする感じ。
擦るような感じのマッサージの方がいいのでしょうね。
熱があるときは全身に回るとか言いますが、ある程度汗をかいた後は血行を良くする為にもいいかも・・・というよりとにかく関節が痛いときついですね。
取り敢えずあのこびりつくような風邪特有の関節の痛みが取れてホッとしています。
今日は汗をかいて髪も汚れたのでお風呂にも入りました。

大河ドラマ「功名が辻」。
確かに役者全員ちょっと老けてる?って部分はあるけど、柄本明さんの秀吉は最高にいいし、大地真央のお市の30代の時と代わらぬあの若さと美しさにも驚かされる。
香川照之も男の哀愁を感じさせる「千代を陰から守る忍」も素晴らしくいい。
言葉にも説得力がある。
そして、何より主役二人がよもすれば利家とまつの時みたいに糠味噌臭くされる危険性がある設定であるにも関わらず、そうはならない。
何かが違う。
上川隆也は勿論の事、仲間由紀恵が若いに似合わぬ堅実で透明感のある芝居をしているからなんでしょうか。
いわゆる昔ながらの大河ドラマの匂いがある女優さん。
「武蔵」の時も宮沢りえと並んで大河らしさを醸し出していたっけ。
この仲間由紀恵演じる千代が主人公な訳だけど、内助の功と言っても糠味噌臭い夫婦愛とかじゃなくて、芯の強い女の秘めた愛がテーマになりつつ、「信長」「秀吉」「家康」の時代を見ていくんでしょうか。



(1/19)

またまた寒くなってきました。
雪がちらつきます。
2月はきっと寒いでしょうね。
でも、春の足音が確実に近づくのも2月。
今も蝋梅の花はもう咲いているでしょう。
明日明後日くらいに北野天満宮に行きたいな。

バレンタインやひな祭りの準備も今からしなくては。
立ち雛を今年は考えて見たいんだけど。



(1/18)

今日、注文していた結晶果糖が到着。
これを半分ずつに別けてパックするフードセーバーもネットで注文。
紅塩の連絡がまだ来ないのだけど、砂糖と塩をほしいという人にちょっと分けてあげられたらと思っています。
赤米も到着。
フードセーバーはこれがひとつあると、普段でもとても便利だと思います。

バレンタインの講習の時のイタリアン精進のメニューを決めました。
本願寺さんが出している本を参考に作る予定。
お昼だし、無理に動物性蛋白を出さなくても良いかなと思ったり。
豆腐を使って何か考えてもいいし。
春らしいメニューになる予定です。

ライブドアの株価騒動。
私たち投資家がそうやって騒いで日本の経済を混乱させてどうする?って感じですね。
自分で自分の首を絞めてどうする。
ホリエモン自体は、ちなみに私は最近結構可愛い人だなと注目してて割と好きです。
可愛いという意味は、多分今時の使い方と同義語なんだけど、超やり手ででも人間くささもあって、ちゃんと失敗もするけど次に繋げて行ける男っていう期待感がある。
新しいもの面白い事に関する嗅覚がすごい人。
パワーが溢れすぎてスパークして騒動も起こすけど。
悪い事も多分してるんでしょう。
それならそれでちゃんと償わなきゃいけないけど、こういう面白い人材は育てなければと思いますね。
妬み嫉みもあって潰したい人も一杯いるんでしょうけど、こういう株価の暴落騒動っていつの時代もヒステリック。
海外メディアが高笑いしてそうだよ・・・・・
ホリエモンに関しては、この危機をどう切り抜けてくれるかが見ものです。



(1/17)

今日は大丸のアートフラワー教室でりんごの花を作ってきました。
私は木にせずに一枝づつのりんごの花をたくさん作りたかったので、一枝をたくさん作りました。
ほのかにピンクになるように布を染めて、可愛い花が出来ました。
今度は苺の花を沢山作ろうと思います。



(1/16)

今日はハーブ講習をお習いする日。
終わってから下鴨茶寮に行って新年会。
心尽くしの素晴らしいお料理で、先生にも気に入っていただけてよかったです。
来月の自分の講習は、バレンタインディナーと春のリースつくりです。
今、イタリアン精進を作ることを考えています。



(1/15)

昨日は料理食べ歩き研究会から新年会も兼ねて北山のボルドーへ行ってきました。
ルイ王朝の宮殿にいるかのような気持ちにさせてくれるレストランです。
今日は一日ビデオを見たりローズマリークッキーを作ったりアロマバスに入ったりしてゆっくり過ごしました。
今年はとにかく美容と料理に力を入れて飛躍したい。
体にいい紅塩と結晶果糖を使っているのですが、千草工房でも売り出してみようかしら。
結晶果糖はインシュリン無しで代謝するという優れものです。



(1/13)

今日は新年会兼ハーブ講習と言う事で、朝から用意。
寒い冬の事ですから、急に体調を崩したりと欠席の方もありましたが、飛び入りの参加もあって楽しいひと時を過ごせました。
味も京都のお姉さま方に気に入って頂けたようで何よりです。
昨日書いたものの他に白柿に鶉の卵を仕込んで揚げて半分に切ったものも作ったのですが、これって孔雀卵と言う名がついた一品だったのね。
孔雀の羽に似てるから。
名を知らずに毎年作ってました。
こちらも好評でした。



(1/12)

今日は昼から明日の講習のためのご馳走の準備。
黒豆・きんとん・紅梅人参・白梅長芋・松笠芋・松竹絹さや・野菜ゼリー・テリーヌ・百合根の梅肉和え・黒米御飯・林檎寒天ゼリー。
なんとか全部出来ました。



(1/11)

今日は暖かでした。
明後日のハーブ講習のために色々準備。
6〜8人になりそうで嬉しい。
お重におせちスタイルでご馳走を詰めようと思います。
今日は黒豆を水に浸し、人参を梅型に、赤目芋を松かさに切りました。
後、明日はきんとんを作り、百合根の梅肉和え、白柿にうずら卵を仕込んだもの、野菜のゼリー、テリーヌを作る予定。
りんご羹も作りたい。
エスニック雑煮も試作してみなくては。
ローズマリークッキーも久々に作ります(^^)。



(1/9)

今日は昨日大阪で貰った阪急のゑびすさんの笹のレプリカを持って八坂神社の中のゑびすさんへ行って来ました。
縁起物をひとつプレゼントしてもらえるのです。
このゑびす神社には初めてお参りしたのですが、にぎやかなゑびす行列も見られたし、三社めぐりと言うのもして、ゑびす・大国主・八坂の三社をお参りして福を受けてきました。
いつもの祇園の中にある京都ゑびす神社にもお参り。
こちらでは人型の縁起物の「人気取り」を頂いてきました。
福がたくさん訪れますように。



(1/8)

今日は大阪へ。
梅田の大丸ミュージアムのエジプト展見てきました。
かなりの人出でしたが、ゆっくりじっくりひとつひとつ古代の秘宝を見てくる事が出来ました。
新しく出来た茶屋町NUも覗いてきました。
糖朝と言う香港デザートレストランによっておやつにマンゴープリンにくるみ汁粉を頂いたのですが、メニューの中心は、「医食同源」の考え方に基づく、香港の伝統的甜品をアレンジした体と美容によいオリジナルデザートという事で、薬膳っぽい感じの料理が満載でなかなか良かったです。

ネットでオルフェウスの窓を検索して思ったこと。
納得できないラストがゆえに、いまだに後を引いて思いを引きずっているリアルタイム時のファンが結構多いようで。
で、かなり重い内容なので、ずるずると底なしのようにはまっちゃいます。
年齢を重ねるにつれていろんな見方が出来るという事と、結構待たせて待たせてようやくその思いがかなって昇天したと思ったらあっという間に地獄の底に突き落とされて・・・・・と言う感じが、人間のチラリズムを求める本能に響くという事があるのかも。
第1部のクラウス=アレクセイなんて結構この章ではスパイス的な感じで描かれて、2部では1度名が出たきりでそしてようやく3部で主役。
どんなにその登場をリアル時に待ち焦がれた事か!!
1部でユリウスとはじめて互いの愛を確かめ合う枯葉のキスのシーンが強烈だっただけに、この魔力は大きいです。
3部では6歳の幼少期からその最期まで描かれているのですが、その最期の台詞が泣かせる・・・・・
なんと言う大きな愛をこの人は持っていたんだ!!!!!って。
生涯の不滅の恋人であり最愛の妻であったユリウスと祖国ロシアへの愛に身を焦がし心を残しながらネヴァ川に沈んでいく・・・・・
公式には生死不明ですが、その姿を目の当たりにししかも自分の一言のせいで愛する夫を死なせてしまったユリウスは、アレクセイの願いむなしくそのまま自分を失い、その後数年狂気の世界に入り込んでしまった。
アレクセイの死を認められない彼女の意識が、遠い過去の最初の二人の出会いの中に逃げ込んでしまった。
あの世で、どんなに心残りだったろう。
で、その祖国への愛は?
その後の指導者たちがやはり間違えてしまって、70年でソヴィエトは崩壊。
またまた原点に戻ってしまったわけで。
そういういまだ進行形の思いが渦巻くのです。
今後も、資本主義だろうがなんだろうが抱えていく問題として。
答えが出ないから・・・・・完結していないから、
だから延々と読者を引きずり、語りたい思いに掻き立てるんでしょうか。



(1/7)

今日は昼から伏見の弁天様と稲荷大社に初詣に行って来ました。
毎年こちらに行って福銭を頂いてくるのです。
伏見は昔ながらの風情をいまだにとどめる場所なのですが、今年こそ桜の季節にここに又行こうと思います。

オルフェウスの窓のページをトップページに移しました。
語りたい事もなかなかある作品なので、少しずつ感想を書き足していくつもりです。



(1/6)

今日、かなり前にネットで注文してすっかり忘れていたボージョボー人形が我が家に到着(^^)。
幸せを呼ぶ人形と言う事で仰天ニュースで特集された人形です。
おかげですごい人気で注文してから2ヶ月以上かかるという品物で、それが今我が家の門を叩いてくれました。
結び方は微妙に色々違うようですが、とにかくお金と愛が欲しいという事で(笑)。
愛がなきゃ、お金があったって結局は全てむなしく消えていく。
けれど愛だけあってもそれだけでいいというのは絵空事で、お金がなければ力不足を感じて、出来ない事も多々ある。
たとえば、お金がなければ病気になっても十分な治療が施せなかったり。
愛もお金も両方大事。
より良いお金の使い方のためには愛が大事。
また、お金があればそれを生かす使い方がある。
お釈迦様も、お金はちゃんと稼いでよい使い方をなさいと仰っているそうな。
政治にもいえることですね。
今年聞いた薬師寺の法話では「宗教(宗派)と信仰は別物で、この信仰なき政治家はいかに天才でも長続きはしない」と「天才的な革命家の信長」「天才的な政治家の秀吉」を挙げて信仰とは赦しの心だと言う話を聞きました。
赦し=キリスト教で言う所のアガベ=愛ですね。
理想のパラダイスを現実にするには、欠かせない事です。
ロシア革命はそれを起こしたものたちの愛と祈りはホンモノだったけど、それを引き継いで権力を持った後継者たちが間違えた。
愛なき政治になっていったから?
これは、資本主義だろうと何だろうとどこの国だろうと。
全世界的な私たちが今後も抱える問題といえそうです。



(1/5)

世の中はもう仕事始めでいろんなことが始動を始めています。
今年は私も財政の運気を持つ年らしいですが、2月過ぎないといろんなことが本格的には動かないな。
子供の合格通知を頂くのが今月の末ですから。
今年1年、これまでして積み重ねてきた事をしっかり生かしてモノにしなくっちゃ。
踏ん張らなきゃ。

「オルフェウスの窓」のページ作って見ました。



(1/3)

昨日は薬師寺、今日は伊勢神宮と二見が浦の夫婦岩を参拝。
薬師寺ではちょうど新春法話を聴くことができて有難かったです。
今までは近鉄のほうの入り口からばかり行っていたために実は気づいていなかった聖観音や八幡宮がある事を知って参拝。
今日は朝早くから梅田に出てバスツアーで伊勢神宮へ。
内宮とその参道であるおはらい通りとおかげ横丁も歩いてきました。
伊勢参りは中学のとき以来です。
大学の時は表参道の近くに学校があった為に、明治神宮にはよく行っていたのですが。
今日、伊勢神宮に行って改めて思ったのは、海洋民族の一面を持つ日本人にとっての信仰には、海を渡ってやってきた海神信仰が根強くあるのかもしれないということ。
太陽神であり海の女神であり、山岳信仰とも結びついた、世界でも類を見ない太陽の女神アマテラス。
古代の信仰の中心に据えられる神はすべて生む性である女性であり、それを祀り上げて男性たちが国を動かしていたのですから、日本の宗教観はきわめて古い太古に根ざすものなのかも。
この島国にいろんなルートでやってきて、それ以前の民族を征服したとき、それまでにあった宗教もすべて吸収してそれで八百万の神々が誕生しても行ったのでしょう。
麗しい瑞穂の国日本は和合の歴史をも持ちます。
信仰と言うものは人格の基本であり癒しである。
いわばその国のアイデンティティであるが、それは決してその民族のためにだけ成立するものであってはならないと、それは世界共通普遍性をもつものである必要があると言うお話も、薬師寺の法話の中で出ました。
その意味では、キリスト教も仏教もイスラム教も根本では同じものであるはずだと。
薬師寺と言うのは。基本は特定の宗派を持たぬ寺なので、法華経の念仏も唱えれば阿弥陀経の念仏も唱えるのだそうな。
日本人には特定の宗教を持たない人が多いです。
けれど宗教と信仰は違う。
宗教は歴史の中で派閥的な意味をもつけれど、日本人は空に太陽があれば太陽を拝み、月を拝み星を拝む。
水を拝み風を拝み日を拝み大地を拝む。
大自然の力を畏れ尊敬し、共生していく信仰心――アニマズム的信仰を持っているのかも。
征服でない共生ってなんていい言葉でしょうか。

「オルフェウスの窓」に再びはまっています。
最初に読んだのはヒロインのユリウスと同じ15歳で、コミック版が4巻まで出たときでした。
ユリウスに感情移入し、本気で私もクラウスことアレクセイ・ミハイロフに惚れたものです。
やんちゃで明るくて、ちょっと不良っぽいけど男気があって優しい男。
不条理な権力体制に対する反抗心から、ロシア革命に身を委ねた男。
革命の勇敢な闘士の自分と、生涯無二の「わが不滅の恋人」への情熱的な愛の狭間で悩み揺れる姿は、それまで少女漫画の男性キャラにはかっこいいと思っても決して夢中になる事のなかった私の心を激しく捉えました。
少女漫画の男性キャラは、たいてい女の中の理想の産物です。
少年漫画の女性キャラがそうであるように。
そんな中、クラウス―アレクセイは私にとっては梶原一騎の少年漫画に出てくるような、いわば矢吹丈や花形満のような男の血潮をたぎらせた男だったのです。
イザークも人間として好きだったけど、あの優しいがゆえの優柔不断と人がいい故の鈍感さは女を不幸にするかな?
男としては萌えられなかったけど、親友ないし家族としては素晴らしいし、あの悩める人生が、彼の音楽に深みを与えていくという点で、とても応援したい男でした。
ユリウスは―――まさに生身の女。
あの純粋さも愚かさも、痛すぎるほど胸に染みてきます。
とにかくそのすべてがひたすら可愛いのです。
この4部に渡る大河ドラマは、実は連載中はもともと少女雑誌やティーン雑誌を買う習慣のなかった私は、あまりにユリウスとクラウスがすれ違って、とうとう革命と恋の狭間で苦しむクラウスの心が理解できず、愛するあまり記憶喪失になってユスーポフ候(ひそかにユリウスに恋心を抱いてる皇帝派)の家に軟禁(ユリウスが実はロシア皇室の隠し財産の鍵を預かるアーレンスマイヤ家の当主でその秘密を監視するため)あたりから、セブンティーンを毎月立ち読みするのをやめ、本として発売されるのを待つ事にしました。
ユスーポフ候は少女漫画のキャラとしては結構魅力的でしかも革命派のアレクセイに匹敵する皇帝派の魅力的な対抗馬として物語を盛り上げるのには最高の人物でしたが、私の中では決してアレクセイと並ぶ事はなかったので、焦らされるのが嫌で待つ事にしたのです。
その後、ユリウスとアレクセイはめぐり合って結婚したものの、あまりにも悲惨な死を遂げたと同じくアレクセイにはまっていたと言う同級生に聞いて自分の持っている一部のみで私の記憶を封印しようと決めてしまった・・・・・
で、愛蔵版が発刊されてそのすべての封印をといたのが30歳になる直前。
つまりアレクセイとユリウスが再びめぐり合って夫婦として愛し合う、その年齢に達した時にすべてを読みました。
ユリウスは、ドイツの時代に犯してしまった正当防衛とも言える殺人の罪意識から、決して過去の記憶を取り戻さないものの再びアレクセイに会ったときから昔と変わらぬ強い恋をしてしまったのです。
アレクセイはアレクセイで、革命に命をかけながら、恋の部分では一瞬たりともユリウスを忘れる事がなく愛し続けていた。
ユリウスだって、ユスーポフ候に一度キスされてしまったとき、その腕の奥に遠き記憶のアレクセイを感じていたわけなので、恋の点ではユスーポフ候はアレクセイに惨敗だったのでした。
作者によれば、ユスーポフ候はそもそも絶対ホモに違いないって事でしたが・・・
確かに、人間にも溢れ、自分の強さも弱さもしっかりと受け止めて生きる血の通ったアレクセイに対して、レオニード・ユスーポフは私にとっては最後まで仮面をかぶり続けた存在でした。
30歳にして読んだこの大いなるドラマは、その時の私にはすべて受け止められたように思います。
最後の死はあまりにも無残でしたが、その後のロシア革命の行く末を思えば、あそこで恋と革命に純粋に生きて死ねたアレクセイは幸せだったかもと思うのです。
ロシア革命は、10年で終わった。
後に残ったものは他者を認めぬほどの粛清的民族主義とスターリニズム。
ペレストロイカに寄って、再びロシアはアレクセイが生きた激動のロシアに戻った。
どろどろの権力闘争の中で本当に正しいのは何なのか追い求めて死んでいったアレクセイ。
真の共産主義とは、一部のインテリゲンチャにしかその深い意味は受け止められないものなのかも。
民衆の持つときとして醜いまでの欲望と残酷さと愚かさは、アレクセイの実家を襲って家族を皆殺しにした部分にも良く現れてる。
レーニン死後、スターリンとたもとを分かち亡命したトロッキー。
共産主義なんて資本主義の最終形態にようやく生まれてくるユートピアに過ぎない・・と思います。
資本主義さえなく、20世紀になるまで農奴だったロシアの民衆が市民革命を起こすのは早すぎたのかも。
スターリニズムが崩壊した今こそ、あの時の革命家の本当の重いが何であったか原点に戻ってみる必要があるのではないかと思った事でした。
ベルばらばかりがメディアに取り上げられるけれどあちらはフランス革命の醜い部分はあまり描かれていません。
オルフェウスの窓では、ロシア革命がいまだに抱え込んでいる暗黒の部分を描いていると思います。
本当は外国人俳優による映画で見たい作品ですが、細かい部分が省略されたり筋が変えられたら嫌かな。
ここは完全に原作に忠実に、アニメで描いてほしい。
2部と3部は同時間軸ですから、それは一緒に平行させて描いてほしいです。
去年の暮れの掃除の時にしまっていたこの愛蔵版の本を取り出してもう一度読んでいるのですが、何度読んでも深い作品です。



(1/1)

ついに2006年です。
今年の年明けは、ワンルームマンションで迎えました。
それで本宅の方に帰ってお風呂に入り、それから除夜の鐘を搗きに行き、子供と下鴨神社に初詣に行ってきました。
元旦の朝早々、すなわち深夜に初詣に行くのはいつも家の近辺か松尾大社まで位だったので、街中に出たのは初めてでした。
四条河原町を通っていったのですが、歩行者天国みたいになっていました。
なかなか風情のあるものです。
下鴨神社では、今年から売り出されていると言う御盃の3点セットを買いました。
主人は年末年始の立会いに出かけて明け方戻ってきたし、子供はアルバイトだったので、おせちの宴は夜に。
それまでゆっくり野菜のゼリー寄せとアスピックゼリーを作った残りの肉と野菜でテリーヌを作りました。
明日は薬師寺、明後日は伊勢神宮に参る予定です。






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