砂の器(第11話)

「最終楽章・完結編(宿命の再会)」




人間は弱い。
三木の語る「宿命」とそれから逃げず立ち向かえと言う言葉は正しい。
けれど、幼い頃からあまりに理不尽に受けてきた差別と虐め、そして殺人犯となってしまった父を持つ事の苦しみは、当人でないと判らない計り知れないものがあったでしょう。
秀夫がそれを受け止めるには、時間が必要だったのでは。
そんな事を感じながら三木巡査の「宿命」と言う言葉を聞きました。
過去に「人間失格」と言ういじめをテーマにしたドラマを見ましたが、赤井さん演じる父親と息子はいじめに耐えて頑張っていた。
けれど、頑張ったにも関わらずエスカレートしたいじめによって、息子は不慮の事態で死んでしまった。
そんな事なんかも思い出してしまいました。
三木さんは本当にいい人で一生懸命な誠実な方だったと思います。
けれど、その三木さんの正しささえも恐怖してしまった秀夫=和賀。
その心が切ないです。
和賀英良となってからの彼に待っていたのは、その才能と美貌を余す所なく発揮しての栄光だった。
そのやっと手に入れた栄光を失う事への恐怖もあったことでしょう。
けれど、彼が犯した罪は罪として、その事実とも和賀がきちんと向かい合える日を待ちたい。
その待つべき母性の象徴があさみの存在だったでしょうか。
和賀があさみに最後に向けた笑顔は、息子と別れる瞬間に千代吉がやっとの思いで作った笑顔と重なりました。
あの時の千代吉の笑顔には、秀夫への愛の全てが詰まっていた。
本当に泣かされました。
その秀夫=和賀にもやっと本当に愛する人――大切に思える存在が出来ていたのでしょう。
和賀は全てを失った。
けれど「宿命」と言う曲が残った。
そこには彼が生きてきた生き様があるのです。
芸術は全てを越える。
全てを露にする。
そして、曲を完成し演奏し終えた時、和賀英良は死んだ。
本浦秀夫だけがそこに残った。
結局のところ心から和賀を応援し支援していたであろう田所親子の事を思うと切ないけれど。
「何で三木巡査を殺してしまう前に私に全てを打ち明け相談してくれなかったのだ」ともしかしたら田所代議士は思ったかもしれない。
けれど、和賀にしたら、その時は田所にもし自分の秘密がしれたら、田所本人に切られてしまうと、そう思っていたでしょうからとても話せるものではなかったでしょう。
話せるくらいなら、恩人の筈の三木をそこまで恐怖しなかったでしょうから・・・
そして。
なんと自分が全ての責任を取ると、和賀を父のいる医療刑務所に連れて行った今西刑事。
まさに、もしかしたら今回のテレビ版の本題のテーマであろう「罪と罰」その人間の業をこの本浦親子に感じました。
刑事に伴われて警察に出頭する際にも、幼子のようにピアニカを抱きしめて離さなかった和賀。
父の元に向かう和賀はまさに幼い日の秀夫だった。
父を前にして、「あなたが憎かった。あなたの子供である事が嫌だった。本浦秀夫をこの世から消したかった。」と泣く和賀。
その言葉には、しかし確かに父への限りない愛が感じられた。
そしてさらに「だから三木さんを殺してしまいました」と父に向かって自白する。
全てを受け止め、「すまんかったな」と泣き、子の手を握り締める父。
そして、その父の前で幼子に帰りピアニカで「宿命」を弾く息子。
生きているそれ自体が宿命であると言う今回の命題が重かったです。