ギリシア神話とわたし





どこまでもつづく透明な青いエーゲ海と孤島。
白い砂・・・・・
そしてハーブに彩られて、ギリシア神話の世界は繰り広げられます。
内容を追って行くと、不倫・殺人・近親相姦・同性愛と・・・何とも血生臭い内容なのに、後に残るものは「美」そのもの。
何故なのでしょう。
幼かった私にも、ゼウスの愛人達への感情移入はごく自然なものでした。
女神の中でもっとも好きだったのは、処女神でりりしいアルテミスやアテーナーでしたが、儚い末路をたどり、結局花や星に姿を変えてしまう事になるこの愛人達の姿は魅力的でした。
肉の事を扱いながら実は限りなく肉体を否定するかのような、いえ、人間の肉体の美の極限を求める事で生々しさを感じなくなるとでも言うのか。
そんな所が私にとっての魅力だったのです。

とは言いながら、大きくなってからこの物語に触れる時、小さな頃には気付かなかった神や女神達の高慢さや残酷さを知る事になります。
もっとも理性的であると思われたアテーナーでさえも、「人間の男の分際で・・・」と散々心を弄んだ挙げ句に嘯いている。
はじめはややショックではあったけれど、いわゆる「神様」ではなく「大自然の象徴」と考えた時、善も悪も無いより大きな存在として感じ取る事が出来たのでした。

この物語には、8歳の頃に、「少年少女世界文学全集」や病院の待合室に置いてあったものなどを通して出会ったのですが、そのうつくしさにとても心惹かれ、ぜひ大人向けに書いてあるものも読みたいものだと、色んな本を探して読み耽ったものでした。
学校で夜の星座の事を習うようになると、ますますこのギリシア神話の世界観は広がって行きます。
又、西洋の文献や物語をひも解くと、必ずといっていいほどこのギリシア神話の素養が基盤にあります。
この無限のファンタジー世界は、私にとっても心懐かしいものです。

ギリシア神話の世界では、ホモもヘテロも同様に、ごく普通の存在として扱われているようです。
ホモというより「美少年」という考え方をより多く見受ける事が出来ます。
ヒアシンスの花と化した少年もまた、アポローンと西風の神に愛された存在でした。
ホモという響きにはごく普通の、単に相手が同性であったというだけの、肉の営みを感じるのですが、「美少年」となるともっと理想的な観念の世界を感じてしまうのですが。
つまり肉を感じさせないその存在がしばしば登場します。
男とか女とかを越えた理想の美の象徴として。
エーゲ海のレスボス島の詩人サフォーは、恋に破れてレスビアンの世界に陥り、詩と音楽と舞踏の女学校をつくったとか。
ここには肉の営みに疲れ、或いは怖れるものが肉の交わりを拒否して逃げ込んだ、逃避的な倒錯愛を私などは感じてしまうのですが。
退廃的でありながらストイックなものを感じてしまいます。
「美少年」の方にも又肉体を越えたストイックな美の追究・両性具有の匂いを感じます。
或いは、sex以前の幼児期のまどろみを。

又、こうした神話には必ずと言っていいほど、男にも女にもなれる神が登場します。
トリックスター。
善と悪の両方を兼ね備えたこの破壊と創造の神もまた両性具有です。





戻る