「模倣犯」
6/13
今日、又観に行ってきました。
ピースから見た、ピースに企画されたかのような、この映画の世界観。
まさに「模倣犯〜ピースの世界〜」と言う感じだと、改めて思いました。
ライブ殺人を、心のどこかで楽しんでしまっている現代人。
「平成」と言う時代。
古きよき邦画の世界観と、デジタルな現代と言う時代が入り混じる。
それを、私たちもまた、この劇場で疑似体験すると言う訳です。
そんな怖い事件を報道する傍ら、その同じテレビのCMとして、ノー天気でセクシャルなものがはさまれると言う事。
これもまさに現代の風俗世相を切り取ったもののように感じられました。
Yahoo掲示板の書き込みとして、合間合間に流れるテロップ。
Yahooは今回の映画のスポンサーでもあり、その掲示板はたいそうメジャーなのでよく見ますが、実際のYahooの書き込みはもっと長文で粘着質のものが多いように思います。
2ちゃんねると言う、良いもの悪いもの何でもありの掲示板があります。
そこは、バスジャック犯もそこに潜んで声明を出したりしていた事でちょっと有名で、管理人さん自らテレビ出演されたり、本まで出ているのですが、そこのチャット風の軽いノリの書き込みの方に似ているかも。
そこの専門板にはなかなか興味深い意見があるので、ROMさせて貰っているのですが、「〜だYO!」なんて語尾のお遊びは、今回の映画内の掲示板でも使われていたけど、ここの用語じゃありませんか(笑)。
なんだかこの映画の世界が、ますます現代の私たちの世界を風刺し、切り取った世相である気にさせられました。
さて、カラーセラピーと言う事で、今回の途上人物にはそれぞれパーソナルカラーが用意されているとのことで、ピースが赤と黒、ヒロミが青、カズが黄色と聞いていました。
けれど、別の断面からこの映画を自分なりに見たとき、又別の色も浮かび上がってくる所が、余白があって面白いです。
ヒロミ――エキセントリックなアニマル――赤。
ピース――クリスタルな透明感――或いは海のように静かな、けれど激しさも秘めた青。
私自身は、やはりこう言う印象を受けました。
この映画「模倣犯」と言う世界。
私自身は、このピースはがへなちょこでは成り立たないと思いました。
ピースと言う絶対悪を中心に、この長編小説を映画として再構成したことは、映画としてとてもいい効果を持ったのではないかと思いました。
ピースから「現代」への挑戦状。
そんな時代の片隅で必死に生きる人間たち。
失われ行く「昭和」。
その昭和の世界は、ある意味伝統の日本映画の世界でしょうか。
かなり観客の年代層が広く、前回もそして今回も、一人で来ておられる有馬老人くらいの年齢のお爺さんとか、何人かお見かけしました。
そう言う方たちは、こちらの昭和の視点からこの映画を見ていられるのだろうな、と思いました。
愚かしい殺人・・・アケミ殺し。
感情でヒロミはアケミを殺した。
その人間臭さ。
馬鹿な女に俺の人生を台無しにされたくないって。
そして叫ぶ。
「ピー―――ス!!助けてくれ!!」
そこにピース登場。
そしてそこでこの映画世界は新たな局面に立ち、一気にムードが変わるのです。
「意識」「観念」と言う言葉をピースは口にする。
進化――自然淘汰――神(悪魔)の手による意識的殺人。
これからは神がそうしてきたように、人は理性で人を殺す?
選民思想。
悪魔からの挑戦状。
「食べると言う事」
こんな映像にも、彼らの欲望の質が表現されます。
欲望――けれどピースは無臭。
ワインを飲み、肉を食べる仕草がひたすら美しく、生活臭を感じさせないピース。
ピースはおそらく凡庸で醜いものは許さない。
そしてアニマルのように喰らい付き喰いつくすヒロミ。
イチゴをほうばりコンデンスミルクを直接むさぼるカズ。
そのカズは、平凡で凡庸な普通の男だ。
けれど「ちっぽけな存在はその存在のまま」生きていたっていいじゃない?
そこにはそれなりの小さな幸せもあったりするのだから。
そして有馬老人。
戦争を生き抜いてきた動物的な勘に優れた男。
目も良ければ耳もいい。
この老人がピースと直接対峙する訳ですが、私はピースにとっては、この「戦争ジジイ」の存在は、強大だったと思います。
こんなじいさんがまだ生きていたことに対して、喜びと憎しみが入り混じっていたのではないでしょうか。
(続く)
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