「模倣犯」
6/10
今日の時点での感想です。
後ほど、もう一度この映画を見てから別ページを改めて作り、、感想をまとめようと思っています。
最後の、テレビ局での有馬老人とピースの対決のシーン。
有馬老人ならこう言うだろう、と言うことは、最初から判っていた様な気もするピース。
だから「だったらあんたがこの俺の血を引いた子を育ててみろ。血じゃなくて環境だと証明して見ろ」と言う事で、最後の赤ん坊に繋がったのではないかとも思いました。
実の所、本当にピースの子かどうか判らない。
そう言う存在のあの赤ん坊。
けれどそこに、「ピース」と言う観念は生き続ける訳です。
有馬老人はこの赤ん坊を、もしかしたら自分のひ孫かも知れないのにそれを知らずにピースの子として育て続ける事になる訳です。
それは、有馬老人のような親に対するピースの中の一種の憧れと、同時に、一種の挑戦だったでしょうか。
私は、テレビ局での有馬老人の言葉を聞きながら、その言葉は確かに正論だけれど、それはピースが抱えてる問題点とは微妙に違うだろう、と妙に違和感を覚えて観ていました。
有馬老人が発する言葉は、母殺しがその最初の殺人であったピースには、判りすぎるほど判っていたと思うのです。
ピースは、相手が傍観者である事を許さない。
お涙頂戴モノのルポを書いた記者の前畑滋子の夫には死を。
あまりにも堂々と「昭和」である自分を守りつづけ、生き続ける有馬老人には「ピースの子」と言う観念を与えた赤ん坊を。
もし、有馬老人が自分自身に敗れたとしたらその時、彼はその子供を憎む日が来るかもしれません。
子供が、何か間違った事をした時、「やっぱりあの男の子供だから」と思うこともあるかもしれないし、子供自身が自分がピースの子であることを悩むかも知れないのです。
ある意味、恐ろしい挑戦だと思いました。
私たちも全員、ピースに試されているのかも知れません。

それにしても、この映画、観客の年代層が本当に広くて、驚きました。
この有馬老人くらいの年齢の男性の方も、独りで観に来ておられました。
今日は、週刊誌での原作者宮部みゆきさんと森田監督の対談も読みました。
女の感情、と言うか、映画の中での滋子みたいに大切な夫を奪われる、と言う事が生理的に受け容れられないと言うか、観念で人を殺すと言う事を嫌悪しつつこの作品を小説として仕上げたと言う宮部さん。
彼女の中では、それをどんなに薄っぺらいと非難されようが、被害者側からの視点でしか敢えて作品を書かなかったという訳です。
それを、その作品を大好きな森田監督に敢えて託した宮部さん。
映画では、ピースと言う存在にも強烈な印象が与えられました。
原作派の中には、それでは被害者の悲しみが薄れてしまうと仰っている方もあるし、おすぎさんとか、男だけれど女の感情を持った人なので、映画のその辺が受け容れられなかったのかも、とも思いました。
でも、反対側のその敵の視点の方も突っ込んでおかなければ、物語は一方的になってしまう、と私自身は受け止める性質なので、私自身は、この映画を見て、「ピース」と言う存在に魅力があればあるほど、この現代社会の中で今でも彼がほくそえんでいる怖さを感じたし、又被害者側の悲しみも十分に感じました。
滋子の夫である畳屋職人があまりにもいいひとすぎて、その彼が疑うことなくピースの毒牙に掛かって殺されていく事の悲しみ。
孫娘を殺された有馬老人の悲しみ。
たとえどんなにピースがカッコ良く見えても、彼がした事はこの悲しみを人に与える事に他ならず、いえ、カッコ良くカリスマに見えてしまうからピースは恐ろしい現代の悪魔なのだ、と言う事を感じました。
宮部さんは、最初ピースが自爆と言う道を選ぶ事を「ピースに勝ち逃げされてしまうのでは」と危惧されたようですが、そうしないと小説と言う言語と違った「映画」と言う言語にならないと言うこと以外にも、簡単に改心してしまうようでは(或いはそう言う余地を残すようでは)ピースの本当の恐ろしさは見えてこないのでは、と言う気が、私にはしました。
宮部さんはこの対談の最後で、「映画と小説の2つの模倣犯に触れることで初めて現実がみえてくるんじゃないか」と仰っていました。
宮部さん自身、新たな発見があったのかも知れません。
ちなみに、中居くんのピースは、自分の作り上げたピースと違って、あまりにカッコ良く美しい森田ピースになっていた事に驚かれたそうです。
映画には、やはりこう言うダークヒーローは必要なのでしょう。
誤解されがちですが、ダークヒーローと言う事は、決してその存在を倫理的に肯定するものでもないですから。
人間誰しも持っている「心の闇」と言う事。
その闇をクロースアップする為にも、私はピースには悪魔として輝き続けていて欲しいと思いました。
本当に、パズル解きのように色々考えさせられるこの映画。
一回観ただけでは表面的な感想に終始してしまう。
後から思い出して色々考える。
その細部を確認する為にもう一度この映画を見る。
その事の意味が判った気がしました。
ネットなどでも、役者の演技に関しては殆ど賛辞が贈られているのに反して賛否両論を呼んでいる脚本ですが、それだけに「問題作」と言う称号が与えられましょう。
そして、これまた賛否両論を呼んでいる、ピースの自爆シーンでのCG合成。
うちの息子も、後は全部良かったのにあのCG合成だけは現実味がなくて、ありゃあないだろうと言っていました。
けれど、私自身はあれで逆にピースは自分自身を神(実際は神と言う名の悪魔?)にしたのであり、もしかしたら死んでいないかもしれないではないかと、あれはピースと言う悪魔が見せた幻覚だったのではないかと、思いました。
爆破の中で、静かに微笑む美しいピース。
造形的に美しいフォルムの顔立ちなだけに、それは美しく恐ろしい光景でした。
あの恐ろしさは、中居くんのあの顔立ちの美しさでこそ表現できたものでありましょう。
コメディタッチの中居くんは、もしかしたらバラエティの中で本人が作り上げた以上のイメージを超えられないかも知れないと思います。
けれど、彼が本来隠し持っていた表情は、こうした映画でこそ活きるのかもと思いました。
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