北アルプス立山の原風景




立山連邦の見える街。
それが私の生まれた街、富山市です。
小さい頃から立山連邦を見慣れてきたその私の眼にも、その屏風のような青い山々の頂上が、何度見ても予想遥かに高い位置に在る事は、驚きです。

富山市は、日本全体から見れば小さな市の方ですが、それでも県庁所在地であり、それだけの人口都市でありながら、これだけの山々を拝む事の出来る街は、世界でも類を見ないとか。
山と海が隣接した特殊な地形の影響かもしれません。
いつもそこに山がある事は、毎日の事でありながらいつもはっとさせられる思いでした。
そしていつもその姿に勇気づけられたのです。
今はどうか判りませんが、富山の子は、7、8歳前後になると立山の雄山の頂上に登る事が成長の証のように思われている節がありました。
それは、この山が信仰の山であった事にも由来しています。
富山で生まれ育った私が、初めて富山から離れ、東京に出たのは大学に入った18歳の時でした。
その時、何より淋しかったのは、親元から離れた淋しさではなくて、そんな時でも、或いはどんな時でも心の中にしっかりと支えになっていた、「振り返ればそこにあった」北アルプス立山連邦がなかったことでした。
これは、ある時は当たり前になっていたものが、なくなるとどれだけ大事なものであったか判るというあの虚無感です。
その後、就職して富山に戻ってきた時も、社屋の窓から見える雄大な山々がどれほど私に力を与えて呉れた事か・・・・・
今では私も立山の無い街に住んでいますが、心の中にはこの風景を持っています。
私は弱い人間ですが、この立山のお陰でやはり、自分は強い女であるのだと思う事が出来ます。
幸い京都は、山に囲まれた盆地です。
京都の山は北アルプスのように雄大ではなく、とてもなだらかでやわらかいものに感じます。
中心地まで家から20分しかかからない位置に住んでいても、ちょっとあるけば京都市が見下ろせてしまう。
そんな街。
すぐに嵐山に行けてしまうような、そんなこの街で育った私の息子の原風景は、又大きく違ったものになるでしょうが、それでも私は子供が小学校に上がった歳に、立山は雄山の頂上に連れて行きました。
富山の両親の元に帰省する時も、この山を拝む事が出来ます。
そんな中で、立山も、息子の原風景に加えられてくれていたらなあと願います。


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