「中居正広の 家族会議を開こう7」感想
(2002年9月18日放送)





中居正広プレゼンツとして、企画段階からこの番組に関わり、問題提起をして来た中居くん。
もうこれで7回目ですね。
ドラマ「白い影」をやり遂げた後に放送された前回は、人間の命の重さについてじっくりと考える放送内容であり、映画「模倣犯」の中で殺人犯を演じた後である今回は、殺人について焦点を当てた内容となりました。
中居くんって、自分が関わった作品の中で学んだ事や感じたことを、決して無駄にはしないと言うか、そのままにはしないのですね。
司会者として、そしてプレゼンテーターとして中立の立場に徹している中居くん。
けれど、回を重ねるごとに、ポイントポイントで今現在の中居くんの自分なりの意見をしっかりと言う事が増えてきたように思います。
決してワイドショー的ではない、そして所謂「大人の目から子供を見た」視点でもないそういう中居くんのコメントが聞けるのが嬉しいです。
言葉を一つ一つ選んで噛みしめながら語る中居くん。
そして又、どちらか一方に偏りがちの重いテーマに対して、ふっと別の観点から通し穴を作って風を吹き抜けやすくしてくれる。
そんなとき、本当に司会が上手くなったなと思うのでした。
「ナゼ人ヲ殺シテハイケナイノ?」
上っ面だけで「楽しければいいよ」ととかく過ごされがちな昨今。
今回の例の一人一人の問題に留まらず、自分たちの問題としてそれぞれが自分自身に問い掛けられたらある意味成功なのでしょう。
もう一度じっくりと人の命の重さについて家族で話し合う機会が持てたらいいなと思いました。
この番組終了後のニュースが、北朝鮮拉致問題についてだったのですが、同じ「ナゼ人ヲ殺シテハイケナイノ?」と言う問題が国レベルになり戦争絡みのものとなるとさらに複雑になると複雑な思いになりました。
人殺しが正当化されるのが戦争なのでしょう。
その戦争は、何故人が人を殺したいと思うのか、そう言うことからまずキチンと考えていかない限り、なくならないのかもしれません。

「人を殺すということ」
ゲストは、大竹まことさん、そのまんま東さん、飯島愛さん、小池栄子さん。
@彼女に手を出した親友を殺すと決意した青年
親友だと思っていた男に彼女をレイプされた青年。
しかも、自分の彼女以外の女性にも同じ事をし続けているその男に対して、怒り=殺意がムラムラと・・・・・
この青年を殺人者にしたくないと、彼の友人たちはこの男を別の町に逃がしたと言う。
けれど「俺だけならまだしも」と、今現在男を追跡中だというこの彼。
彼が殺人者になってしまえば、回りのみんなが悲しむと言われても、それでも殺意が押さえられないと言う。
A人を殺したい少女 1ヶ月前のある体験とは・・・
「○○さんってさあ、整形してるんだって」
と根も葉もない噂をクラスメイトに流された少女。
もともと一重瞼だった彼女は二重に憧れて、それで自分でアイプチと言う器具でラインを入れて二重にして楽しんでいたと言う。
そのうち自然に本当の二重になってしまったのだけれど、それを陰口叩かれてしまったらしい。
お陰で周りから白い目で見られてその為殺意が芽生えたと言う。
何故「許せない」が速攻「殺したい」と繋がってしまうのか。
実際こう言うのって殺意は抱いても実際には手を下せないと言うか、包丁他を握り締めた時に正気に戻ってしまうものだとは思うのですが。
実際、部屋で包丁を握った事もあるけれど、その瞬間それが出来なくなってしまった体験談を語るゲストの飯島愛ちゃん。
そして、それだったら私だって全国放送で「偽乳」なんて言われちゃった事あるんだよ(でもそんなこときりがない)、と言う豊満なバストで有名なグラビアアイドル小池栄子ちゃん。
芸能人とかになると、もう週刊誌やらワイドショーに、ある事ない事言われちゃう立場にあるわけで、それって中居くんもそうだし、あまりに酷い時は名誉毀損で訴えると言う方法もあるけれど、日常レベルでも起き得る事。
でも、それって可愛いから羨ましくて、だから言われちゃうんじゃないの?と彼女に向かって言う愛ちゃんでした。
その彼女の1ヶ月前の体験とは。
実はとある暴行リンチ事件に立ち合っていたと言う。
14歳の少女にオートバイを貸し、事故になった時にを置き去りにした(そのために少女は死んだ)と言う二人の青年を2時間半にも渡ってリンチ。
一人は死亡。
そしてこの彼女の彼氏がこの事件の主犯格のひとりとして現在少年院に入っていると言う。
彼女は人が殺される現場を目の当たりにした訳ですが、「こんなに簡単に人って死ぬのか」と思ったとの事でした。
B私を守る為に彼が・・・
自分のために傷害事件を犯した彼。
けれど、そんな彼を受け容れられないと言う。
この彼女は、暴行事件を前にして、自分の彼さえも怖くなってしまって、その時その場で泣く事しかできなかったと言う。
C妻の浮気相手を殺したい
その結果、殺人未遂で捕まってしまったと言うこの夫。
その男のせいで、愛する子供たちに二度と会えなくなってしまったと言う。
なので今でも殺したい気持ちはあると言う。
けれど、それをやってしまうと、その愛する子供たちを殺人者の子供にしてしまう。
そうなると本当に子供たちには会えないどころか不幸にしてしまう訳ですが、気持ちの持って行き所、怒りのぶつける先が判らないと言うこの彼でありました。
D自分を捨てた親を殺したい
里親には、我が子と同じように厳しく優しく育てて貰い、本当に感謝していると言う。
けれど実の親が判った時、その人達は兄も弟もちゃんと手元で育てているのに、自分のことだけは捨てた人達だった。
しかも、自分のことを「あの子はすでに捨てた要らない子」と言ったという。
その親に殺意を感じていると言う彼。
けれど里親のことを言われると「悲しむだろう」と少し冷静になる。
けれど、さらに「悲しむとか言う次元の問題ではなく、殺人者を育てたと言う事で迷惑をかける」と言う事を知らされ、人を殺す事の重さを改めて知ったかに見えました。
「許せない=殺したい」ではなく、まず話し合ってみたいとは思わないのかと言う意見に、「でも相手にされないだろうから」と彼。
「産んで貰っただけでも幸せ。もしかしたらこの世に生を受けることさえ出来なかったかも」と言う会場の1意見に、思わず涙する大竹まことさんでした。
何か思うこと、思い出す事がおありだったんでしょうか。
生まれてなかったら、人を殺す事さえ出来ないんだぞ?とこの彼に向かって仰る。
けれど、無責任に生み捨てる親も多い昨今。
その言葉は、悩み悩んだ末に子供の側で沸き起こってくる最終結論と言うか、諦めの境地に近いものにも思えます。
けれど、大人になると言うことは、我慢の連続かもしれないという中居くん。
今はまだ若いし、判らなくても仕方ない。
けれどこれをきっかけになって、より大人になった時に、大竹さんの言葉やここで出た話のことなんかも納得できる日が来るかもしれないなと語りかける中居くんでありました。
Eイジメの復讐 相手は自殺した
その昔、イジメに遭っていたというこの彼女。
その時、「イジメに遭うのは自分も悪いんじゃないのか?」と言った教師。
この言葉が、もしかしたら悪い形でこの彼女の中で働いてしまったのではないかと思うのですが・・・
結局、ならば負けるものかと奮起もし、その体格を活かして14歳を過ぎる頃には子分も引き連れるようになっていたと言う。
けれどその時出会ってしまった。
昔自分をいじめていたイジメの首謀格の男に。
昔の恨みや怒りがムラムラと湧いてきたという彼女。
彼を体育館に呼び出しタイマン(一対一でけんかや勝負をすること)を張る。
体の大きな彼女は、何と女ながらに彼に勝ったと言う。
倒しただけでは飽き足らず、男の急所を狙い、タマを潰してしまったと言う・・・・・
喧嘩にもルールがあるぞ、最低限の限度があるだろう、しかも男の急所を狙うと言うかタマを潰すのは卑怯・・・ということなんですが、その痛みは女である彼女には想像する術もなかったんでしょうか。
結果、その彼はタマを潰された事を苦に(しかも女にやられたなんて)自殺してしまったと言う。
けれど、あいつに昔いじめられた時は、この私だって何度も自殺を考えたんだと、何の罪の意識も感じていないと言うこの彼女。
それどころかザマアミロぐらいの気持ちと、あいつが悪いんじゃないかと言う気持ちがあると言う。
そんな彼女に向ける中居くんの、多くは語らなかったけど論外といった調子の視線が凍りつくようでした。
今度は逆にお前が殺される番で、そしたら仕方ないなとさらっと言う中居くん。
「やりすぎたかな・・・」位は本当は思ったんではないかと思うのですが、自己防衛の気持ちから、自らの良心の呵責を押し潰しているんでしょうか。
しかしこの「限度を知らない」と言う事、「人の命の重み」「大切な人を奪われたものの悲しみ」を今ひとつ実感していない人間が多いこと。
これが、今時の社会、そして青少年が抱える一番の問題点なのかもと思いました。
F殺人犯になった青年 一生償えない罪
暴走族同志の抗争。
自覚のなかった殺人。
直接手を下していないとして、懲役7年の刑に対し裁判を起こして抗議していたと言うこの彼。
けれど、その裁判に来ていたとある妊婦さんにふと目を留める。
その妊婦は、やがて子を産み、その生まれた子を抱えて裁判所に来るようになる。
あの女性は一体誰なのかと聞いたところ、殺された男の妻とその子供だと言う事を知らされる。
その時初めて、例え直接手を下していなくてもその女性や子供たちから大切な夫である父である人を自分が奪った事に違いないと言う良心の呵責がこの彼に芽生えたと言います。
その時、彼は素直に服役する道を選んだ。
殺人幇助罪と言う罪もあり、グループのリーダーとしては責任上その罪は逃れられないものです。
人を殺すと言うことは、殺された本人のみならず、最初に大竹さんも言っておられたように、その人をかけがえのない存在だと思っていた他の誰かの幸せを奪う事なんですよね。
そして、こう言う経験をして罪の重さを思い知らされ、その彼の立場から「今から誰かを殺そうとしている人があったら、そう言う事を考えた上で踏みとどまって欲しい」と声を大にして言う彼でした。
G息子を殺された母から若者たちへのメッセージ
慈しんで育てて来た可愛い息子を、ある日突然殺された母の悲しみ。
息子を殺した不良グループの証言によれば、どうやら息子が停めてあったバイクをいたずらした事に原因があるらしい。
それで息子を電話で呼び出し、集団リンチで暴行を加えているうちに限度を超えてしまった為、息子は死んだ。
バイクをイタズラしたのだとしたら、その事自体は悪い事だけど、けれど、その事で殺されてしまったとしたら余りに悲しいし口惜しい。
バイクはお金で解決できても、人の命は戻ってこない。
慈しみ育てた時間も戻ってこない。
集団リンチ。
集団と言う事の恐ろしさを改めて知らされた感じです。
私もまた、今14歳になる息子を持つ身であり、なので余計身につまされました。
けれど、ここでは話さなかったけれど、中居くん自身、中学の時に家庭訪問とか言って呼び出しを受けて、七夕の日に集団リンチを受けた事があるんですよね。
その時の目の怪我が元で、中居くんの視力は0、2に落ちてしまったらしいのですが。
抵抗すると余計酷い事になるからやり過ごしたと言っていた中居くん。
けれど今回のこの話と比べると、この時代の子供たちって、喧嘩をしてもある程度加減と言うかこれ以上やっちゃいけないみたいなルールを知っていたと言う事なんでしょうか。
あえて逆説的に、その相手の子供たちを殺そうと思わなかったのかとそのお母さんに尋ねる大竹さん。
そして殺せない代わりに法律に全てを委ねたのであれば、後ろ向きにこの事に拘り続けるのをやめると言うやり方もある、と示唆する大竹さん。
それに対して、この殺した側の少年たちに誠意が見られない限り、なかなか難しいんではないのかなと代弁する中居くんでありました。
少年院から出た後、このお母さんの希望により家に来たと言うその相手の少年の1人との会話のテープもありましたが、実はこれ以上にも色々と口惜しい思いをするやりとりがあったようですね。
この事件についてネットで少し調べてみたのですが、加害者の御礼参りを恐れて娘を別居させたり、事件に対する考え方の違いから夫とも共に食卓を囲むことがなくなってしまったと言うかなり悲惨な現状もあるようなので、もっと前向きに頑張って欲しいと大竹さんの仰った事も判るし、それに対して「今は気持ち的に難しいのだろう」と言う形で声がけをした中居くんの思いもわかる。
このお母様、ご時分のホームページもお持ちのようですね。
実際はもっと長い収録で、色々とカットされたり、VTRも全てがあの通りではなかったようで、思う所はさらに深いものがあるのでしょう。
このお母様以外にも、弟さんなど家族を集団リンチで亡くされた方が2組登場されていたようです。
最後の提供やスタッフ一覧が流れている時のシーンで、このお母さまが色んな方に声を掛けておられて、挨拶をした中居くんにも何か言っておられましたが、上手く聴き取れず残念でした。
中居くんが、ちょっと照れ笑いして答えていたようだったのですが。
ナゼ、人ヲ殺シテハ イケナイノ?
答えるまでもないその問いに、うまく答えられない大人たち。
この事を示唆する中居くんは、映画「模倣犯」そして2回繰り返し読んだと言う原作の「模倣犯」から学ぶ事、考えさせられる事も多々あったのでしょうね。
戦争、或いは制裁と言った歴史を繰り返してきている以上、殺す=破壊すると言う事は、人間の心に巣食っているひとつの欲望なのかも知れません。
特に戦争ともなれば、人殺しが正当化されてしまう。
そしてそんな中で人を殺すと言う事を軽く考えてしまっている今時の若者たち。
ゲームならばリセットしても又元に戻せるけれど、人の命の重さと言う事を、今一度こんな時代なればこそしっかり考えて家族でも話し合っていくべきだなと思いました。




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