花模様
【漢字そして日本語



「薔薇」「ばら」「バラ」「ローズ」・・・・・
同じ花なのに、私にはこの表記だけでもひとつひとつの色や形、香りまで違うように感じられます。
「心」と「こころ」そして「ココロ」「意(こころ)」。
これらもそう感じます。
又、「知恵」と「智恵」。
そして「勝つ」と「克つ」。
これらは意味そのものさえも違うと言えそうです。

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漢字・・・
それは所謂「表意文字」で、その文字を見ただけで何らかのイメージを沸かしてくれる、不思議な言語です。
中国大陸で生まれた、と言われていますが、今現在は中国でも略字となり、表音文字化したものが殆どのようです。
その文字の作りや組み合わせから、その言葉を知らなくても推察する事が出来たり、もともとのそれにまつわる伝統を残しているのは、日本語の中においてのみ、といっても過言ではないでしょう。
「猫」と言う文字を見た時、その字を知っていれば、ネコと言ってもいいし、キャット、と言う事もニャンコ、と言う事も出来る訳です。
また、「あり」なのか「あか」なのか、文字を見ただけでは分かり難いけれど、「蟻」「赤」と書けば天と地ほど違うものだとすぐ判ります。
ですから、小さな子は何と、書くのは平仮名の方がたやすいけれど、読む方については、平仮名より漢字の方が覚えるのが早いのです。
記号の一種だと思っているのでしょう。
難しければ難しいほど取っ掛かりが多いので、特徴の多い人の顔の方が忘れにくいのと同じ原理とも言えそうです。
この漢字を含んだ日本語の表記における文化は、世界でも数少ないものと言えそうです。
漢字・平仮名・片仮名・ローマ字・・・・と様々なのですから。
これには勿論、歴史的な背景があります。
大陸など他民族の集まる地域では、お互いの意志の疎通を避ける為、誰でも読めるように、その文字の表記はより簡略化されて行く必要があったのです。
その代わり、発音の方は、日本でも色々な方言があるように、それ以上に複雑になって行きました。
日本の場合は、いろんな外国文化がこの島国に流れ込んできた中で、それをみな吸収し、包容して行くやり方を取ってきたように思われます。
なにしろ、黙っていても相手の心を察する事が出来る、いえ、沈黙こそ最大の言葉なりと言うことも有り得る「間」の文化を築いてきた民なのです。
そうして又、日本語には同じ発音でも漢字で書けば意味が全然違う事が分かる言葉が沢山あるのでこの漢字無しでは混乱をきたしてしまうと言えそうです。
例としては、「花」「鼻」「端」「華」「英」など・・・・
もともとの大まかな意味は「物事の先端・イチバン先の部分に飛び出しているもの」と言う意味で一緒でも、文化が複雑になって行く事によって色々新しい意味も生まれてくるのです。
そして、もともと、日本語の場合、例えば「つるぎ」と言う言葉は「つ」「る」「ぎ」という3つの言語から成り立っているとのことです。
いわゆる言霊信仰もある訳です。
そして、組み合わせによって色々意味が生まれて行くという、漢字と漢字の組み合わせ・構成と通じるものがあります。
平仮名と言えど、単に表音文字とばかりは言っていられない様なのです。
「つ」は何か一つの空間のようなもの、「る」は流れを表し、「ぎ」は断ち切る、即ちそこに自分の心を入れて空間を止める、と言う事になる訳です。
ですから、この「つるぎ」は「けん」とは意味の違ったもので、日本人の心を表す「刀」はこの心を表す事になります。
ですから、霊力のある刀及びつるぎは、古来色々に伝えられています。
西洋で言う「神剣」にも相当するでしょうか。
この「つるぎ」を漢字に変換すると、「剣」「劍」「劔」「剱」「釼」とほんと様々・・・・・全て形や色まで違って見えてくるようです。
こうした日本人としての文化を受け継いできた漢字。
そして漢字仮名交じり文。
このうつくしい表記の文化を、フランス人がフランス語の発音に大きな誇りを持って受け継いで行くように、うつくしい日本語と言うものを子供にもつたえていきたいなあ、と思っています。








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