舞台鑑賞






「2000年初春大歌舞伎」  「CAT'S」  「ミツコ」  「サルティンバンコ2000」
「南座2001年3月特別公演」  「ハムレット」  「木下蔭真砂白浪」 「カルメン」
「ハムレット(蜷川幸雄)」  「南座・2001年顔見世興行」 「2002年初春大歌舞伎」
「前進座初春特別公演」  「仮名手本忠臣蔵(文楽)」  「文楽京都公演(菅原伝授手習鑑)」
「南座・2002年顔見世興行」






「初春大歌舞伎」

2000年初春。
昼の部。

大阪松竹座にて。

「ラ・マンチャの男」には出ているものの、歌舞伎役者として大阪の舞台を踏むのは12年振りであるという松本幸四郎。
松竹座は初出演ということで話題を呼びました。
歌舞伎・現代劇・シェークスピアからミュージカルまでと、ジャンルの広い幸四郎の歌舞伎を見るのは私にとっても初めてでありました。
その昔、子供の頃にNHK大河ドラマの「黄金の日々」と「山河燃ゆ」で見た市川染五郎時代が初めてで、歌舞伎界のプリンスと呼ばれている人だと言うのをその時に母から聞きました。
その時はまだ幸四郎の魅力は今ひとつ判らなかったけれど(ドラマや役柄としては素敵でした)、「王様のレストラン」というのを見た時に、ああこの人はこういうすばらしい味を持っておられる方なのだと、その時からとても好きになったのでした。
そして、今回見た歌舞伎役者の幸四郎は、本当に美しかったです。
子供の頃は、いかにもこの人の「王子様」と言うお坊ちゃま風のなよなよした感じが今ひとつ馴染めない気がしていたのですが、とんでもありませんでした。
その王子様にふさわしい、ほんものの気品と骨太さ。
つまり風格と威厳を感じたのです。
しかも、機知とユーモアに富んだ表情と演技。
この人は性格俳優でもあるのだなとしみじみ思いました。
お正月にふさわしい、素晴らしい花形役者であると、満喫させて頂きました。

「歌舞伎十八番の内・鳴神
鳴神上人・・・段四郎
絶間姫・・・亀治郎

陽成帝の御世のこと。
朝廷の自分に対する処遇に対して不満をもつ鳴神上人が、その法力を持って三千世界の竜神竜女を瀧壷に閉じ込めました。
その為、雨が一滴も降らず日照り続き。
その反逆に対して送り込まれた女スパイが雲の絶間姫です。
最初、鳴神上人の弟子の白雲坊と黒雲坊が出てきて掛け合いをはじめるのですが、彼らの生臭坊主ぶりが笑えます。
子供に言わせると、漫才師の極楽とんぼを思い出したそうです(笑)。
師の目を盗んでお酒は飲むわ、蛸は食べるわ、居眠りはするわ、喧嘩はするわ。
そんな中で、法力を保つ為に、ひたすら俗世を断って行を続ける上人ですが、そんな中に絶世の美女がやってきます。
朝廷のスパイではないかと怪しむ上人に、色仕掛けで上手に迫り、法力の破り方まで聞き出してしまう絶間姫ですが、その濡れ場がなかなかにスリリングで、能とは雰囲気を違えています。
歌舞伎が本来、庶民の娯楽―エンターティメントであることを意識した、面白い物語です。
最後に、姫に謀られた、裏切られたと気づいた上人が、怒りのあまり雷人化して大立ち回りをするのですが、その荒事のショー的効果と様式美がお見事でした。
弟子の坊主たちをばったばったと投げ倒していくのですが、その時坊主たちは自らバク転をします。
拍手喝采でありました。
「蜘蛛糸梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」
女童宏弥、座頭駒市、傾城薄雲太夫、蜘蛛の精・・・鴈治郎
坂田金時・・・翫雀
碓井貞光…愛之助
源頼光…幸四郎

源頼光を狙っている蜘蛛の精が、警護の目をくらませるため様々な人間に化けて頼光の寝所にやってくるのですが、鴈治朗の四役の早変わりの踊り分けが見事でした。
頼光を松本幸四郎。
本当に美しく、重厚感がありました。
能の「土蜘蛛」が原題。
最後に正体を見破った頼光との大立ち回りがあるわけですが、凄みある蜘蛛の精と頼光や家来、との立ち回りが見事でした。
ショー的な効果を狙った、蜘蛛の糸が放射線のように舞台せましと吹き流されました。
なお面白かったのは、頼光の家来として坂田の金時、つまり金太郎がいたことでした。
「天文紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)―河内山―」
河内山宗俊・・・幸四郎
高木小左衛門・・・段四郎
宮崎数馬…扇雀
腰元浪路…高麗蔵
近習大橋伊織…上村吉弥
北村大膳…幸右衛門
和泉屋清兵衛…錦吾
後家おまき…徳三郎
松江出雲守…我當

直参のお数寄屋坊主という立場をかさに、強請り騙りをして回るとして評判の悪いこの河内山。
それを松本幸四郎が演じてくれました。
非常に含みがあって、その役柄のべらんめえ口調が又新鮮でした。

「CATS」

2000年3月。
劇団四季。
新名古屋ミュージカル劇場柿落とし公演にて。

劇団四季の演出はすごい。
その原点みたいなものを、会場に一歩入って感じました。
舞台だけではない、観客席を含むホール全体が、色んな楽しいもので一杯に飾られてあるのです。
玩具箱をひっくり返したような、そんな感じでした。
大都会の片隅の、猫たちの巣窟。
それが満天の星空、ひいては大宇宙に繋がり、広がっていく感覚。
そんなことを感じさせる演出が、もう舞台が始まる前から行われていたのでした。
そして舞台が始まると、縦横無尽、壁と言わず天井と言わず、あちこちから音も無く猫たちが現れます。
その自由で軽やかな猫たちが飛び回り、暗闇の中から私たちを、このキャッツワールドに翠の目を光らせて誘います。
その猫たちに誘われるまま、私たちは、この筋があってないに等しい物語の世界に惹きこまれていくのでした。
その、エロティックとも奔放ともつかない、愛嬌のある猫たちは、ある意味私たちの夢なのかも知れません。
この、観客参加型の見事な演出は、やがて私たちを彼らのショウタイムへと惹きこみます。
マジックショウまで行われて、舞台はすっかりエンターティーメントの世界。
その中で、名曲「メモリー」も歌われます。」
「It's a CATS show」!!
楽しい楽しい時間でした。

「ミツコ(MITSOUKO)」

2000年6月。
大地真央主演。
新橋演舞場にて。

ゲランの香水ミツコ。
情熱を内に秘めた神秘的な日本女性をイメージした香水ということで、少女の頃からこの香水の名には憧れていました。
情熱を内に秘めながらも控えめな香り。
そんなマダムを思い起こさせる香りでした。
40,50歳という年齢に、いつか自分もなったら私も似合う香りだろうか。
そんな夢を抱かせる香りでした。
この香水の名は、クロード・ファーレルの小説「ラ・バタイユ(闘い)」と言う小説の架空のヒロインミツコから直接イメージされて名づけられたそうです。
が、そのヒロインこそは、この物語の主人公である実在の人物である明治の女光子。
後の名をウィーンの伯爵夫人クーデンホーフ光子がそのひそかなモデルであると言われます。

大地真央はやはり綺麗。
おきゃんな娘のようなミツコからこの舞台は始まるのですが、何と言うか大地真央独特の様式美のようなものを感じました。
立ち姿さえ絵になる。
草刈正雄しかり、赤坂晃しかり。
大地真央の絢爛豪華な衣装替えも含めて、素晴らしい娯楽の要素を呈した始まりだったのですが、話が進むにつれ、第一次世界大戦前に、夫である伯爵と愛し合い結婚したことで、オーストリアと言う見ず知らずの異国の地に移り住むことになったミツコの、波瀾激動の人生に感動していきました。
明治の典型的な女性であるミツコ。
そのたおやかな大和なでしこの強さは、日本人としての誇り高さを感じさせます。
早くに未亡人となってしまった彼女は、夫の遺志を継ぎ、見事に領地を守り子供たちを育て上げる。
庶民の娘として生まれ育った日本人の彼女が、ウィーンの伯爵夫人として恥ずかしくないよう自らも育て上げる。
子供たちばかりではなく、孤児院を守り育て、しっかりと生きていく。
自分の自身の出自を生き抜く。
それは又、民族を超えて、お互いの文化を大切にして協力し合うことにもつながる。
このミツコの息子であるリヒャルトが、現在のEUに繋がるバン・ヨーロッパ運動を提唱して今日に至るということは、戦前戦後と言う時代を、異文化の中で異国人でありながら、ひたすら生きたこの母への、ひとつの答えであるかのようです。

「サルティンバンコ2000」

2001年1月。
東京公演。

企画制作:フジテレビジョン/シルク・ドゥ・ソレイユ。
原宿ビッグトップにて。

沢山の大道芸人たち。
そんな彼らがモチーフの、このサルティンバンコ(サルターレ・イン・バンコ=16世紀のイタリアの大道芸人)。
彼らは、人生の様々なモチーフを体現してくれているのかもしれない。
生きていることの喜びと悲しみの賛歌。
その大いなるなショーは、開幕前から彼らが客席を縦横無尽に走り回り、私達に語り掛けるところから始まりました。

不思議な言語を話す彼ら。
幻想空間の彼ら。
けれど、この幻想こそが言語を超えて私達が共有できるもののひとつだと思います。
本当に、その彼らの息遣いが身近に感じられたショーでした。
その彼らのあまりにもしなやかで強靭な肉体が織り成す美に、圧倒されます。
日本の和太鼓や、番傘なども美しさに花を添えています。
又、空中ブランコなどの機材が大いに活用されて、私達はそれを体感することが出来ました。
人間が空間の中を、自らの意思を持って舞う。
彼らは美の体現者であり芸術家です。
人間とはここまで美しくなれるものなのか。
動から静へ、静から動へ。
その移り変わりに躍動感を感じます。
その中で、私達も又参加者なのでした。
とにかく私達客を彼らが弄る事といったら。
軽々と抱き上げられて、反対側の席にまで運ばれてしまった人もあれば、舞台の上に上げられて、ずっと参加者として演技させられた人も。
本当に楽しい時を過ごすことが出来ました。

「南座2001年3月特別公演」 

2001年3月4日初日〜26日千秋楽。
波乃久里子・藤山直美・山城新伍・名高達男。
南座にて。

「太夫(こったい)さん」
おてもやんな役をさせたら天下一品の藤山直美の喜美太夫。
京都島原遊廓の女将、京女の神髄を演じる波乃久里子。
この取り合わせが何とも楽しかったです。
このふたりの純朴な心の通い合いが、泣かせて笑わせてくれました。
藤山直美の個性である、ちょっと一時代古い泥臭さの部分が、波乃久里子との共演で、とても魅力的に活きていたように思います。
戦後、売春禁止法のもとに、遊廓は解体し、この島原だけが国宝に指定されて生き残った訳ですが、これはそうなるまでの間が時代背景のお話でした。
場所も京都で、島原も土地柄的になじみが深い。
その為、とても身近に楽しめた舞台でした。
太夫行列とか、又太夫たちの日常の模様とか、とても楽しく色っぽかったです。
実際に島原に行って見ているようでした。
京都の観光コースで、この島原の太夫さんと遊ぶコースと言うのでしか行った事が無いのですが。
又、
京都生まれの山城新伍氏の輪違屋隠居も、重厚感を与えてくれた事でした。
「文の助茶屋」
今度は、何と一辺にチャキチャキの江戸っ子・東京女に変身した愛人役の
波乃久里子。
そして、これまた純朴な先ほどの喜美太夫とは打って変わった鬼の女房おさんのごとき本妻役を演じる藤山直美。
こちらの方が、松竹新喜劇の匂いが色濃いと思ったら、かつて渋谷天外や、藤山直美の父である藤山寛美によっても演じられていた作品でした。
言葉のやり取りが軽妙で、その間とかが良かったです。
名高達男の気の弱い亭主の役も、面白かったです。
押し付けられた乳飲み子をあやしている所とか、それに対して非情な女房お千代とか、笑えました。
こちらも、京都の高台寺のそばの文の助茶屋が舞台。
そして、最後に高瀬川?と思しき場所を愛人と共に舟で逃げていく亭主をこれまた舟で追いかけるお千代。
投げ縄もって追いかけるのが圧巻のラストでした。

ハムレット」 

2001年8月14日〜9月24日。
石丸幹二主演。
劇団四季。
近鉄劇場にて。

舞台奥から放射状の白黒の線が延びてくるような床を配置した、シンプルな舞台。
その上で、このバイキングの時代とも言うべきデンマークの王室の復讐劇が繰り広げられました。
二人の性格の異なるハムレット俳優を配したと言う事で評判を呼んでいる、今回の劇団四季のハムレット。
今日8月24日の公演は、甘く端整なマスクのストイックな石丸幹二のハムレットでした。
バイキング時代を思わせる、まるで雷神トールの雷(いかずち)を思わせるハンマーの付いた大きな槍に鎧甲冑。
その中に現れ出でる故デンマーク王の亡霊も、物語のテーマでもある人間の業の世界に私たちを導きます。
悩めるハムレット。
シェークスピア独特の長い台詞の中で、それは語られる。
ハムレットはさぞ理想に燃えた王子だったのでしょう。
けれど貞淑な妻であり母であったガートルード王妃は憎むべき叔父の元に、(夫殺しとも知らず)その夫の死後2ヶ月も経たないのに嫁してしまう。
それは女の業。
その女の業も許せず、故に愛する純潔なオフィーリアもまた、その美しさゆえにやはりそのようになってしまうのかと、愛するが故に憎み、又憎むが故に愛したかも知れません。
それが「尼寺へ行け!」と言う台詞にもなったでしょうか。
このオフィーリアの花のような儚さと、おそらく父を殺す事になってしまったその愛する男を憎めないが故に気が触れてしまったその姿も、魅力的でした。
男の業。
クローディアス王の苦悩。
横恋慕した恋しい女と、王位を兄から奪ったこのドロドロした愛欲。
聖書の昔から、兄殺しの大罪は描かれている訳ですが、その罪を一身にこのクローディアスは背負っている。
途中、彼は良心の呵責に苛まれる訳ですが、その時、奪ったものを手にしたまま神に許してもらおうなどとは虫が良すぎるので、せめて懺悔をと言う台詞を吐いています。
その時、通りかかったハムレットはクローディアスに復讐を果たそうとするけれど、このままでは罪を犯しながら懺悔している男をみすみす天国へ送り届けてしまう事になる、と思い留まる。
ハムレットのストイックさは他人にも自分にも容赦ないのです。
そしてクローディアスは良心の呵責をやがて、その対象物を更に黒い企みで抹殺することに転嫁してしまいます。
そして、その業は最後の惨劇にと繋がる。
王妃は偶然と言うか愚かな女の過ちでクローディアス王の用意した毒杯を飲んでしまい、ハムレットとレアティーズは仕組まれたフェンシングの試合でその剣先に仕込まれた毒で死ぬ。
全ての悪事が暴かれたクローディアスもまたその復讐の刃を受ける。
誰も見ていなくても神は見ているということなのでしょうか。
そして、それ以上に、成すべきか成さざるべきかと悩むこのハムレットの苦悩は人間的です。

「通し狂言・木下蔭真砂白浪」 

2001年10月花形歌舞伎。
中村橋之助・市川染五郎・中村翫雀・中村扇雀。
南座にて。

あの石川五右衛門を中村橋之助が演じる。
しかも橋之助が飛ぶ!!
宙乗りあり大立ち回りあり、のまるでスーパー歌舞伎の如きスピーディなお芝居で、設えも色鮮やかで美しく、本当にとても楽しかったです。
しかも四人組の花形歌舞伎と言う事で、翫雀・扇雀・橋之助・染五郎と言った人気役者の絡みと見せ場が見事でした。
私たちは2階の左側の席で、花道を真下に見下ろせる位置でした。
そうして、宙乗りをする五右衛門を、丁度真ん前で見ることの出来る席だったのです。
江戸時代の歌舞伎は、今のテレビのようなものだったと言われます。
南座の花形歌舞伎は、そうした時代の歌舞伎にもう一度光を当て、関西歌舞伎再興の狙いを秘めていると言われます。
見て楽しく、笑いあり涙あり。
そして贔屓の役者の見せ場を楽しむ。
中村勘九郎が、自分たちは今で言うならSMAPみたいなものだったのだと言った事がありましたが、まさに今日のお芝居を見てそう言う印象を受けた事でした。
きらびやかに設えられた南禅寺山門での「絶景かな」の五右衛門の名台詞。
空中での葛篭抜け。
大きな雪玉から飛び出してきて、無数の紙ふぶきと共に花道に舞い降りる中村橋之助、いえ石川五右衛門。
若き日の五右衛門である友市を演じる橋之助は、むしろ可愛くてひょうきんな一面さえ覗かせていたのに、すっかり貫禄もあるこの五右衛門は、本当に見事でした。
歌舞伎独特のあの「歌舞伎ポーズ」といい、御縄にかかる時の縄までキレイでした。
その様式美とか花形役者(スター)としてのパフォーマンスとか。
市川染五郎もそうなのですが、今の役者さんはテレビにもよく出て、いろんな事をしているので、その役幅が本職であるこうした歌舞伎の場でも活かされているような気がします。
染五郎もとても可愛い一面を見せていた今日のお芝居でした。
女盗賊お峰を演じた扇雀もとても綺麗でした。
翫雀の与六(実は足利将軍に仕える仁木太郎照秋)もオトコマエ。
芝居の筋も判り易く、これなら小学生ぐらいの男の子なら、喜んで見られるお芝居なのでは、と思ったことでした。

「カルメン」

2001年10月5日〜31日。
大地真央主演。
錦織一清・石井一孝。
梅田コマ劇場にて。

ジョルジュ・ビゼーのあのあまりに有名な華やかなリズムに乗って始まるこの舞台。
開演前の緞帳は真っ赤な闘牛がイメージされたものでした。
活気に満ちた花麗しいスペインのセビーリヤの街。
煙草工場の女工たちが束の間の休息を味わっています。
その中にひときわ君臨する、女王のごときカルメン。
髪につけた強い香りのアカシアの花を、若き伍長ドン・ホセに投げつけます。
そのカルメンの恋の誘惑に、ひと目で落ちるホセ。
規律を重んじるうら若きホセは、そんな自分の思いに必死で抵抗しようとするのですが・・・・・
ライバルとして現れる、まるで男カルメンともいうべき花形闘牛士エスカミリオ。
そのエスカミリオとホセの対比も、舞台に膨らみを持たせてくれたようでした。
ホセは、愛するあまり、その自らの情念にカルメンを縛りつけようとする。
「お前の為に」と言うその言葉が、やがてどれほどカルメンにとって重くなって行ったか。
恋は自由。
恋するのも捨てるのも。
そのおおらかな太陽のような恋の賛歌は、誰かを縛るとか縛られる関係ではなく、見返りを期待せずに惜しみなく降り注ぐ、スペインの情熱的な太陽そのもののような自由さであったかも知れません。
自分自身のために精一杯生きる。
それが即ち、その愛が惜しみなく相手にも降り注がれる事に繋がる。
カルメンとはそう言う女であったのかも。
彼女は、自分と同じように自由な魂を持って生きるエスカミリオに共感しつつも、純で一途なホセにも最後まで心惹かれていた。
そのホセは、最後までカルメンとは違った世界の価値観に生きる男だったけれど、スペインのその強烈な花の香りに惹かれて、自らを狂気の中に落として行きました。
その狂気の中に自らを解き放ったホセ。
最後まで誰のものにもならなかったカルメンの心は、その彼の手で真っ赤に散る事を選んだのでした。
それが自由奔放に生きたカルメンの自由の代償。
運命から逃げず、雄々しく散ったカルメン。
自由とはなんなのだろう。
見終わった後もその事をしみじみと考えさせられました。
今生きてあるこの命を精一杯に生きること。
自分の輝きを、誰のものでもない自分自身のために輝かせること。
大地真央のあでやかな女王のような魅力とコケティッシュな愛らしさが、実に生き生きとカルメンを息づかせていました。
宝塚のトップスターであった彼女の、美声と立ち回りも御見事。
朴訥なまでに生真面目で、気弱ながらどんどんカルメンへの恋の狂気の中で変わっていく錦織一清くん演じるドン・ホセ。
又、エスカミリオ役の石井一孝氏の二枚目バリトン役も素晴らしかったです。

「ハムレット」 

2001年10月21日〜28日。
市村正親主演。
篠原涼子・瑳川哲朗・夏木マリ。
演出監督・蜷川幸雄。
MIDシアターにて。

劇場に一歩入った瞬間、その室内劇のように設えられた空間に私は嬉しい驚きを覚えました。
ステージを観客席がコの字型に取り囲んでいました。
客席が600までと言う小劇場。
私の席はステージ右横の1列目だったので、階段になっている横花道にあがり、それを越えて席につきました。
ロンドンのシェークスピア劇などでは、こういった空間でのお芝居を楽しむ機会に多く恵まれているんだろうなと、羨ましくなりました。

彩の国さいたま芸術劇場小ホールでは、200人ちょっとの人数を想定して上演された芝居だそうです。
ステージは、裸電球をくっ付けた無機質な感じの電線コードが沢山吊り下げられていました。
その灯り以外は全く無の黒の空間。
突然何かを予感させるかのように音楽がかき鳴らされ、電球がいっせいに揺れます。
この、あまりに残酷な結末の物語の始まりです。
そこに、本日の「ハムレット」の舞台役者が現れます。
役者たちは、花道と言わず観客席の後ろの通路まで自在に舞台として動き回ります。
以前も、違った形での蜷川演出の「ハムレット」を見ましたが、今回のお芝居では、ガートルード役の夏木マリの配役がたいそう私の目を惹きました。
全開のガートルードは、ある意味無邪気さが強調されていたのに対して、彼女の、その「女、それは悲しきもの」と言いたくなるようなより女の業に生きる面が強調されていたようでした。
たいそう色気に満ちていました。
小道具と言えば、その裸電球がせいぜいであったと言えるこの舞台の中で光っていたのはその衣装の色栄え。
赤・黒・白のコントラストが眩かったです。
そして、力強い骨太なインパクトの市村ハムレット。
ユーモアのセンスもたっぷり湛えて、芝居の中でさらに芝居するそのハムレットの幅の広さを感じました。
ほっそりした美青年ハムレットに慣れていた私でしたが、シェークスピアの時代の二枚目は、むしろこうした恰幅のいい男たちであったようです。
裸電球が揺れる。
風が吹く。
その度に、物語の主人公たちは、自分の心の深淵を覗き込まされ、光と影の中で揺れ動くようでした。
ハムレットはインテリジェンスに溢れた王子。
だから、ひたすら復讐へ、そして死へと向かってひた走りながら、その中での自分の位置を見据えて思い悩む。
それは、自分自身の「狂気」の中で、自分自身を見つめていく行為に似ている。
先王であるデンマーク王は、クローディアスを演じたのと同じ瑳川哲朗氏。
ハムレットの前に現れた父王の亡霊は、もしかしたらそのクローディアスの中の罪の意識と良心の呵責が生んだ亡霊でもあったかもしれません。
そして、ハムレットの心を安らがせる筈だった野の百合、清らかな乙女のオフィーリア。
けれど、女の美しさと貞淑さは相反するものだと知ったハムレットには、彼女を愛しながらもその彼女の純潔を護る為には「尼寺へ行け!」と言うしかないのです。
演ずる篠原涼子嬢は、これが初の舞台経験。
彼女なりの気の強ささえ感じさせる一途なまでのオフィーリアの純情。
その容姿もとってもチャーミングでした。
彼女なりのオフィーリアの狂気は、はかなさではなく真っ直ぐに落ちていく情熱を感じました。
劇中劇として演じられる、役者たちによる黙劇。
アングラ劇の骨頂と言いたくなるような素敵な前衛芸術でした。
この芝居の時、演出的に立って見下ろした方がいい部分があって、私たちはハムレットの指示で全員立ち上がります。
客もまた、こうしてこの舞台そのものの演出に巻き込まれてゆきます。
最後に、デンマークに進撃してくるノルウェーのバイキング王フォーティンブラスの一軍。
そのバイキングぶりは、なんと本物のバイクでけたたましい音と共に乗り込んでくる、皮ジャンを着込んだ血まみれの若者たちによって表現されます。
ハムレットは、このフォーティンブラスにこの物語の惨劇の後の始末を託します。
他の舞台では、この若きノルウェー王がハムレットの物語をしかと受け止めて受け継いでいった印象があったのですが、舞台は激しいマシンガンによる完全なる粛清で終わったようでした。
全ては無に変わり、新しい時代がやって来る。
何故なしに死する。
けれど、それだけにハムレットの生と死は鮮烈に心に残ったようです。
蜷川演出「ハムレット」真田広之版感想はこちら
劇団四季「ハムレット」感想はこちら

「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎―十代目坂東三津五郎襲名披露―」 

2001年11月30日初日〜12月26日千秋楽。
夜の部。
南座にて。

戦時中も、京都南座だけは顔見世興行は公演されたと言う、伝統あるこの顔見世興行を、偶然観に行くことが出来ました。
幹部俳優の番頭さんが、それぞれ贔屓のお宅に伺って、顔見世観劇の為の積立金を集めると言う事が、4、50年前まで行われていたと言います。
演目も配役も決定する前から、お金を掛けておくのです。
それだけ、京都の人々は何を置いても顔見世を見たいと言う気持ちが強いようです。
毎年11月に、役者の顔ぶれの単調さを嫌い、1年契約で役者を抱えて、今年の1年はこの顔ぶれで興行を行いますと言うのが、この顔見世興行。
言わば歌舞伎のお正月。
東西の名優が一堂に会する華麗な舞台です。
そして、一座の役者以外に新しいメンバーが加入した時、正月の初芝居の初日から5日間だけ、初参加の挨拶をさせたのが顔見世の始まりであったと言います。
17世紀初めに、四条河原を発祥の地とした歌舞伎。
出雲阿国が「かぶき踊り」を演じた事に始まります。
今年の顔見世は、昭和38年以来八十助を名乗っていた坂東八十助が改め十代目坂東三津五郎を襲名。
その襲名披露です。
「菅原伝授手習鑑・寺子屋」
舎人松王丸・中村吉右衛門。
武部源蔵・片岡仁左衛門。
平安の御代。
右大臣菅原道真(菅丞相)が政敵の藤原時平に陥れられ、大宰府に左遷された折、書の道の後継者に選ばれた式部源蔵。
その時、道真の嫡男管秀才を密かに預かり、我が子と偽って人目をくらまし育ててきたのでした。
そんな折、庄屋の家に呼び出され、時平の腹心である春藤玄蕃が「匿っている管秀才の首を討って差し出せ」と言っていると迫られます。
寺子を身代わりに・・・と考えた源蔵ですが、いずれも山育ちの寺子たち。
とても偽れるものではありません。
そんな時、女房の戸浪に引き合わせられたのが、留守の間に入門した小太郎。
そのはきはきと利発に挨拶する様を見て、この小太郎を身代わりにする事を思いつきます・・・
しかもその母親は出かけているとの事。
戻ったら殺してしまう覚悟まで決める源蔵でありました。
そこにやって来るは検使の春藤玄蕃と首実検役の松王丸。
松王丸は菅丞相の別荘を預かる白太夫の三つ子の息子の一人。
世にも珍しい三つ子は舎人にすれば天子の守りとなるとのこと。
菅丞相に勧められ、梅王丸と桜丸は菅丞相と帝の弟である斎世親王に仕え、松王丸は時平に仕えていたのでした。
さて、春藤玄蕃と松王丸の寺子達に対する厳しい詮議が始まります。
しかし、差し出された首桶を見て、「管秀才に相違ない」と言い切る松王丸。
偽首と指摘されたら即座に斬り込む覚悟をしていた源蔵夫婦は拍子抜け。
ホッとして喜ぶのも束の間、小太郎の母が帰ってくるのですが、家に招き入れ斬りかかると母親は身をかわし、その口からは意外な言葉が・・・
「若君のお身替り、お役に立てて下さったか」
そして、小太郎の手文庫から経帷子と南無阿弥陀仏と書いた幡を取り出すのでした。
そこに短冊を結びつけた松の枝が投げ込まれ、現れるは松王丸。
実は小太郎は松王丸の一人息子。
聞けば、小太郎も管秀才の身替りと聞けば、僅か10歳にして笑顔で「お役に立てて下さい」と首を差し出したと言う。
心ならずも時平に仕える松王丸ですが、心の底では菅家を案じ、人知れず御台所を庇護していたのでした。
そして、御台所を管秀才に引き合わせます。
管秀才もまた、その忠義の心に「知っていればそのようなことはさせなかったものを」と幼き身ながら労わりの言葉をかけます。
忠義の為とは言いながら、愛する我が子を差し出し、涙にくれる松王丸夫婦。
衣装の下に覚悟の喪服を着込み、野辺送りの焼香するその姿に、源蔵夫婦も貰い泣き。
政権争いに巻き込まれた一族と家臣の、哀しい物語でありました。
「十代目坂東三津五郎襲名披露・口上」
八十助改め坂東三津五郎。
この三津五郎を中心に、ずらりと役者が並び、ご挨拶。
テレビでも御馴染みであったこの八十助に鬼平犯科帳の吉右衛門。
片岡孝夫改め現片岡仁左衛門。
それぞれのご贔屓(ファン)が楽しめる瞬間でもあります。
歌舞伎ファンには歌舞伎ファンのそれぞれの贔屓があると思いますが、歌舞伎に興味の無い人でも知っているのが吉右衛門、仁左衛門、八十助。
私にとっては、仁左衛門は心のどこかではいつまでも「片岡孝夫」で、舞台で顔を見たとたんに「あ、孝夫さん」と思わず思ったりします。
やっぱり片岡孝夫はステキでした。
そして、そんな一同がずらりと並んで、それぞれ八十助を語ります。
まだ可愛らしい赤ん坊の頃の話やら、オムツの話やら、奥様が3人目であることやら?面白おかしく親しみ深く語り、笑わせてくれるのでありました。

「助六桜の二重帯・新吉原三浦屋の場」
花川戸助六・八十助改め坂東三津五郎。
髭の意休・市川左團次。
三浦屋揚巻・中村雁治郎。
くわんぺら門兵衛・片岡仁左衛門。
江戸狂言である『助六』の主人公である助六は、江戸っ子のシンボル。
金には恵まれないものの、江戸髄一の花町吉原で一番人気の遊女揚巻と深く契り、大金持ちの髭の意休を手玉にとってひけをとらぬ伊達男。
舞台が吉原なので、華やかな花魁が一堂に会し煌びやか。
豪華絢爛。
すっかり目の保養となりました。
江戸っ子助六のキップのいいべらんめえ口調。
喧嘩を吹っかけるその様もいなせです。
今風の冗談も交えながら話が進められます。
実はこの助六、父の敵討ちを目の前に控え、男達(おとこだて)に身をやつし、源氏の宝刀友切丸を探す武士なのでした。
人手の多い吉原で喧嘩を仕掛けるのも、相手を怒らせて刀を抜かせ、その刀を友切丸かどうか確かめる為だったのです。
そうとは知らぬ優男の兄や母は助六を諌めるのですが、訳も判って一安心。
実はこの友切丸を持っていたのは、髭の意休。」
意休は、助六の正体も目的も見抜いており、どんなにけしかけられても乗って来ないのですが、ついに友切丸の事が知れてしまう。
この舞台は、そこまでの一幕です。
「乗合船恵方萬歳」
萬歳鶴太夫・中村歌昇。
才造亀吉・中村翫雀。
芸者春菊・片岡孝太郎
女船頭お浪・尾上菊之助。
若旦那喜之助・片岡愛之助。
大工芳松・片岡進之助。
白酒売おふじ・中村扇雀。
乗合船に乗る個性豊かな7人の男女を、宝船に乗る七福神に見立てた目出度い歌舞伎舞踊。
隅田川の流し場が背景で、江戸の風俗舞踊の代表作です。

初春大歌舞伎

2002年初春。
夜の部。
大阪松竹座にて。

「信州川中島―輝虎配膳―」
長尾弾正輝虎・片岡我當。
直江山城守実綱・片岡進之介。
妻 唐衣・上村吉弥。
勘助母 越路・坂東竹三郎。
勘助妻 お勝・片岡秀太郎。
これは、越後の長尾輝虎(上杉謙信)と甲斐の武田信玄の争いを描いた、近松門左衛門の五段の時代浄瑠璃の三段目に当たる物語です。
さて、その武田の軍師、山本勘助。
この軍師として名高い山本勘助を味方にせんと、勘助の妹婿であり長尾の家老である直江山城守の助力で、勘助の母越路と妻のお勝を館に招き入れて様々にもてなす輝虎。
けれどその計略を察知した越路は、輝虎自らが配膳した膳を足蹴にするのでした。
これにより、輝虎は怒りを爆発させ、刀の柄に手をかけて越路を手討ちにせんとするのですが、勘助の妻であり、越路にとっては嫁であるお勝が、身を投げ出して姑の命乞いをするのです。
これに免じ、又山城守の縁者であると言う事を重ね合わせて、「命ばかりは助けてくれん。追っ払え。」と怒りを鎮めきれぬものの、追い払うのでした。
そして、山城守に促されて、唐衣は母と兄嫁を自分の屋敷に連れて行くのでした。
この芝居には3人の女性が登場するのですが、いずれも、それぞれの形で見事に「武家の女」を体現しているなあと感心した事でした。
まずはなんと言っても肝の据わった女丈夫の勘助が母越路。
娘婿の主君である輝虎が、わが息子の才能を認めてそれを得んと、おんみずから配膳までしてもてなしてくれる事に心の底では感謝しつつ、「敵の恩を受けては我が子の鉾先にたるみがつく」と、武将の家を守る身として決してその姿勢を譲らない。
そんな複雑な心中やきりりとした姿勢と、心中に常に懐刀を忍ばせ握り締める感じのその覚悟が、伝わってきた事でした。
又、言葉が不自由であるとの設定の勘助が妻。
「このような身ながら夫に母を託されたのだから、身替りにわが命を差し出すのでどうか母を助けて欲しい」と不自由な口を使っての詫び言。
そして琴を弾き歌う有様がいじらしく美しい。
そして、夫の為に今や敵国の武将となってしまった兄を味方に引き入れんと、間を取り持ち奔走する唐衣。
三人三様。
見せ場もそれぞれあって盛り上がり、面白かったです。
輝虎の勇壮さと風格もまた、舞台空間をいっそう大きなものにしていました。
「連獅子」
狂言師右近 後に親獅子の精・市川團十郎。
狂言師左近 後に仔獅子の精・市川新之助。
僧 蓮念・市村家橘。
僧 遍念・市川右之助。
前々から観たいと思っていた「連獅子」。
我が家にもこの連獅子の木目込み人形があるので、この勇壮な舞台を子供にも是非見せたいと思っていました。
期待に違わぬ、とても見事で美しい、勇壮な舞台でした。
これは非常にめでたい長唄舞踊で、まずは能舞台を模した松羽目舞台に手獅子を持った二人の狂言師が現れます。
文殊菩薩の住む清涼山と、そこに掛かる石橋の風景を、連舞で描きます。
そして、千尋の谷に我が子を突き落とし、試練を与えると言う親獅子仔獅子の厳しい子育ての舞を披露します。
やがて、この狂言師に獅子の精が乗り移り、勇ましく毛を振る勇壮な舞に代わるわけですが、まずは紫に金、赤、白と言った華麗な衣装に身を包んだ役者二人が登場するので、その歌舞伎役者としての美しさをそこで堪能する事が出来ました。
実の親子である團十郎と新之助。
この二人が実の親子だと知っていれば、その趣はいっそう増します。
実際、とても美しく味わいある舞台でした。
このふたりが所謂「連獅子」に変身するまでの間を繋ぐものとして、宗派の違う二人の僧が登場するのですが、この2人の会話が漫才みたいで、非常に可笑しいのです。
法華宗の僧と浄土宗の僧。
宗派の違いから争いながら、獅子が出るといわれる山中を旅していたこの2人。
互いに自分の宗派の方が優れていると言い争ううちに、念仏とお題目を取り違えていると言う可笑しさ。
太鼓と鐘をそれぞれかき鳴らしながらしまいには乱舞します。
けれど、そこに吹く不気味な山嵐。
たちまち2人は「獅子が出た!!」と逃げ去るわけですが、そこに現れるは、赤と白の長い毛をつけた獅子の精。
あの狂言師たちに乗り移った獅子の精なのです。
牡丹に戯れ蝶に狂いかかる親獅子仔獅子。
そこで定番の見事な獅子の舞が披露されたのですが、本当に息を飲むような美しさでした。
千穐萬歳を寿ぎ舞う、非常に目出度い舞でした。
これを、最前列の、しかも花道の真横で観る事が出来たのでした。
役者が、びっしょりと汗をかいて、その汗が飛び散る様まで見えたことでした。
「心中紙屋治兵衛 河庄」
紙屋治兵衛・中村雁治郎。
紀の国屋小春・中村翫雀。
粉屋孫右衛門・市川團十郎。
所謂心中モノなのに、今風の松竹新喜劇にも通じるような現代風の大阪の笑いを、一杯に盛り込んだ舞台でした。
「笑い」というものはとても奥の深いものなんだなと、改めて思います。
こうした心中モノの中で描かれる人間模様―人の心の機微の中にある、普遍的な笑いとでも言うのでしょうか。
いわばかわら版的世俗風景の中にあるこの笑いの要素によって、たちまちこの物語は血を通ったものとして、躍動感を増します。
もともとはこの治兵衛。
舅が鉱山事業に手を出して失敗し、破産に追い込まれた不名誉を隠すため、その左前の理由を作るために曽根崎の郭通いを始めたとの事なのですが、この曽根崎新地の遊女小春とは、三年越しの恋仲の間に、本当に深い仲になってしまったようです。
家庭にも仕事にも行き詰まり、この小春とは心中の約束をしています。
その小春に女房おさんが使いをよこして夫と別れてくれるように密かに文を渡すのですが、それを受け取った小春、女同士の義理から治兵衛と別れて一人で死ぬ覚悟を固めます。
一方、治兵衛の兄の孫右衛門も、弟の身を案じて蔵屋敷の侍に扮し、小春の本心を確かめに来るのですが・・・
実は町人なのに侍に扮しているので、時々町人言葉で喋ってしまう孫右衛門が見せる可笑しみ、そして、悲しい決意から愛想尽かしをする小春に対して、その真意に気付かず悪態をつき、未練がましく言い訳をする治兵衛の見せる可笑しみ。
そして、遊女ながら一途でいじらしい小春の女の操。
この小春に横恋慕して割り込んでくる、江戸屋太兵衛らのユーモラスな漫才のような会話。
泣いて笑ってのこの悲喜劇。
見所たっぷりでありました。

「前進座初春特別公演

2002年1月。
南座にて。

劇団創立70周年。
そして中村翫右衛門没後20年の、南座1月公演。
株主招待券を頂いたので、主人と観に行って来ました。

「五文叩き」
作・長谷川 伸。
梁川庄八郎・中村梅雀。
苫山半兵衛・村田吉次郎。
その妻折江・いまむらいずみ。
江戸時代中期が舞台のお話だったのですが、なかなかユーモラスで楽しいお芝居でした。
剣法指南である苫山半兵衛とその妻。
その寄る年波に加えて、如才のなさで人気を呼ぶ別流の道場に圧されてすっかり寂れてしまった道場。
その寂れた有様では道場破りにも相手にされない始末なのですが、わずかばかりの粥しか食べるもののないその有様は、切実ながらユーモラスに描かれます。
そこに現れたるは、旅の武芸者梁川庄八郎。
半兵衛夫婦の有様に、一計を案じます。
その案とは、なんと「一叩き銭五文」の看板を表にぶら下げて、憂さ晴らしに自分(庄八郎)を叩かせるという梁川式商法なのです。
それが当たって半兵衛の道場は大流行。
道場破りに乗っ取られてしまった道場の方からは、その新しい道場主の横暴に耐えられず、次々に弟子が鞍替えしてやってきます。
この庄八郎は、弟子にうまく自分を叩かせる事で稽古をつけるのです。
どうやらこの庄八郎、叩かれても痛くないコツを心得ているものらしい。
そこで怒ったその道場破り。
庄八郎のもとに血相変えて押しかけ、真剣勝負を挑むのですが、柳に風とかわされる。
けれど、いざ勝負となるとなんと素手のままで相手を手玉に取り、真剣を奪い取って鮮やかに峰打ち。
この庄八郎、一体全体如何なる強さの持ち主か。
そこへ、熊の胆売りの熊が檻を破って、暴れ出してやって来ると言う大騒ぎ。
庄八郎、なんと熊とにらめっこ。
眼力だけで熊を檻に追い込み、一件落着。
力を振るうだけが強さではないですね。
「舞踊・うかれ坊主―七枚続花の姿絵―」
願人坊主・中村梅雀。
梅雀が体中真っ白に白粉を塗り、華やかな段鹿の子の下(さが)りと腹巻を身につけて、着肉を一切着けずに素肌で面白く踊ります。
リズム感といいその演技といい、面白いけれどとても難しい舞踊のようなのですが、ユーモラスな中にエロティックなくらいの魅力を湛えておりました。
「左の腕―無宿人別帳―」
原作・松本清張。
飴売り 卯助・中村梅之助。
娘 おきみ・河原崎國太郎。
松葉屋女主人 おあさ・山村邦次郎改め瀬川菊之丞。
板場 銀次・高橋佑一郎。
ご存知「遠山の金さん」で有名な中村梅之助。
その口上とキップのいい往年の名調子が、とても素敵でした。
ご本人の役者としてのオーラもさることながら、その「声」に凄いオーラがあるのです。
ユーモアを湛えた、その懐の深さを感じる事が出来ました。
途中、瀬川菊之丞の襲名披露も挟んだので、役者衆の新年の顔見世口上も聞く事ができました。
さて、腰の低い真面目一方の飴売りの老人と見えたこの卯助。
その娘のおきみは誰からも可愛がられる可愛がられており、料理茶屋松葉屋に奉公。
そこの女主人おあさの親切で、卯助も松葉屋で働く事になり、朝早くから夜遅くまで、陰日向なくつとめていたのですが・・・
この界隈を縄張りにしている岡っ引のいなりの麻吉。
おきみが板前の銀次と恋仲なのを知りながら横恋慕。
なんとか言う事を聞かせようと嫌がらせをしてくるのですが、目を付けたのはこの卯助の左の腕。
実は、そこには無宿人(重罪を犯して戸籍から除かれた者)の印の入れ墨が。
娘のおきみにだけは知られたくない遠い昔の暗い過去の話。
この秘密を隠したいばかりにひっそりと生きてきた卯助だったのですが、実はこの卯助はその昔は「むかで」の仇名を持つ少しは名の知れた盗賊の頭だったのです。
それがある日、松葉屋に押し込んだ4人の盗賊たちを、ドスのきいた啖呵と年齢を感じさせない身のこなしで叩きのめした際に、素性が知れてしまう。
父娘共に松葉屋を出る決意をした卯助ですが、おあさの計らいで、このおきみと板前の銀次はめでたく内祝言をあげ、松葉屋のあとをつぐことに。
「わしゃ手前で手前に負けていましたよ。弱みを隠しちゃいけませんね」
と言う卯助。
自らは元の飴屋に戻り、飴を買う子供たちの純粋で綺麗な眼を命綱として、これからも生きる決意をするのでした。

「仮名手本忠臣蔵(文楽)」

2002年3月21日。
昼の部。
京都芸術劇場にて。

仮名手本、と言うのは難しい時代物を庶民の為にわかりやすくしたもの、とのこと。
今の世にも伝わる赤穂浪士の有名な忠臣蔵の物語は、すべてこの「仮名手本忠臣蔵」を下敷きにしたものなのだとか。
元禄の時代のこの物語を、時の幕府をはばかり、太平記の世界に移して語ったこの物語。
原作は十一段続きの時代物であると言います。
今日、昼の部として見たのは、
下馬先進物の段(高師直が賄賂を受け取る所)・殿中刃傷の段(松の廊下)・裏門の段(おかると勘平)・塩谷判官切腹の段城明渡しの段
あまりに有名なストーリーですが、どう表現されるのかがとても楽しみでした。
文楽の人形浄瑠璃を見たのは、実はこの舞台がはじめて。
人形の、まるで生きているかのような細かい動きや、3人、時にはそれ以上の黒子で動かすそのリズムと動きが、まさに日本の文化と言う感じで、素晴らしかったです。
殿中刃傷の段での大立ち回り、そして塩谷判官(浅野内匠頭の事)の切腹にあたって涙を流している家臣たちの神妙な有様、そして満を持して舞台に現れる大星由良助。
その全ての動きが素晴らしかったです。
物語も、家臣があらかじめ策を弄したお陰で、同じく高師直に憤りながら事なきを得た若狭助を最初に描く事で、塩谷判官の悲劇を際立たせた感じがしました。
又、切腹の処分を告げに来た二人の御家人の描き方が、一人は悪口雑言を吐き、もう一人は情けを示すと言う対比のさせ方。
両方の見方があったのだなと感じられました。
最後に、城明渡しの段で大星由良助だけがライトアップされ、主君から遺言と共に頂いた形見の刀を見つめるシーン。
現実の大石内蔵助のほうは、家老として藩士のことも考え、お家再興と仇討ちの間でかなり悩むなど、色々と複雑な人間ドラマも持っていたようですが、仇討ちという強い決意を感じさせる名場面でありました。

「文楽京都公演(菅原伝授手習鑑)」

2002年6月29日。
午後3時の部。
南座にて。

「天拝山の段」
「寺入りの段」
「寺子屋の段」


昨年末のこの南座での「顔見世」の折にも観たものの文楽版でした。
前回は寺子屋の段しか見なかったのでその背景が判らず、忠義の為に寺子の命を差し出すと言う話がメインになっている感じなのが今一釈然としなかったのですが、実はこの話自体がその前からの続き物で、そこから見ていくとメインは実は我が子を身替りに差し出した松王丸の苦悩の方にあることを知りました。
この話自体が、時の権力者によって陥れられた主人とその家臣の悲劇なのでありましょう。
忠義を称える話ではなく、そうせざるを得なかった事への深い悲しみと憤りが、物語のテーマのようです。
まずは天拝山の段で登場する菅丞相こと菅原道真公。
自分を陥れた藤原時平が、帝の地位をも実は狙っていると知る。
そこで憤った菅丞相。
我が身が都に戻る事が叶わないならばその体を捨てて雷神となって帰洛して帝をお護りせんと天に祈誓するや、たちまちその望みはかなえられ火焔をはいて昇天する。
その表現がとても華々しく人形で演じていると思えないほどの迫力がありました。
文楽の人形遣いの、細かい動きの表現がとても素晴らしかったです。
寺子屋の段でも、ヤンチャな子供たちが喧嘩をしたり小競り合ったりするさまの表現が細かく、たいそう可笑しみとユーモアがあったことでした


吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎―四代目尾上松緑襲名披露―・・・・・・★

2002年11月30日初日〜12月26日千秋楽。
夜の部。
南座にて。

「歌舞伎十八番の内・鳴神」
鳴神上人・・・辰之助改め松緑。
雲の絶間姫・・・鴈治郎。
以前も見たこの
鳴神ですが、これを見るのが2回目で内容もしっかりと頭に入っていたせいか、弟子の坊主たちの生臭ぶりや掛け合い、そして最初は取り澄ましていた鳴神上人が俗世間の色事に興味を示して自らの色欲に身を委ね堕落して行く様が、非常に可笑しく楽しめました。
松緑演じるお上人の表情の変化がとても楽しめました。
雲の絶間姫の乳房に初めて触れて興奮する様がなんともユーモラスでした。
純情で清廉潔白な男ほど、こう言う女の誘惑にには弱い?
しかもこのお上人、お酒が一滴も飲めず奈良漬さえ嫌いと来ているのに、雲の絶間姫に怒鳴られて(笑)、しぶしぶ大杯の酒を飲み干して。
そうして法力を破る術まで彼女に教えて眠りこけてしまうのです。
結局、これは勅命ゆえお許しくだされと心で手を合わせる雲の絶間姫によって法力は破られてしまうのでありました。
で、酔いから醒めて騙された事に気づく鳴神上人。
激怒のあまり龍神雷神と化して大立ち回り。
止めようとする弟子達を、バッタバッタと投げ飛ばす。
投げ飛ばされるお芝居の為バク宙を繰り返す弟子たち。

そして鬼人のような鳴神上人の顔。
その怒りと色欲のまま、雲の絶間姫を追いかけていくのでありました。

荒事の醍醐味ここにありという感じの勇壮さでありました。
「四代目尾上松緑襲名披露 口上」
中村鴈治郎、片岡我當、中村時蔵、片岡秀太郎、市川團十郎、片岡仁左衛門、市川左團次、坂東三津五郎、尾上菊五郎、そして辰之助改め尾上松緑。
この豪華な顔ぶれでの襲名披露。
それぞれ、二代目松緑や三代目松緑と関わりの深い方たちで、そうした話も聞けた顔見世口上でありました。
それにしても現在27歳だと言う四代目尾上松緑。
お若いですね。
その若い役者が大名跡を襲名するのは近年見当たらないと言います。
父である三代目松緑(初代尾上辰之助)が1987年に40歳で早世したとのことで、幼くして父を亡くした不幸を克服しての華々しい晴れの襲名の日であるようです。
「歌舞伎十八番の内・勧進帳」
武蔵坊弁慶・・・團十郎。
源義経・・・菊五郎。
富樫左衛門・・・仁左衛門
「男惚れ」と言うのでしょうか。
義経を自らの神と仰ぎ、死をさえも厭わずに尽くす弁慶の姿には、まさにこうした思いが感じ取られた事でした。
こうした弁慶の姿に心を打たれて、自らも死を覚悟しつつ見逃してやる富樫左衛門。
そこには、義とか忠とか言うものを越えた、男の生き様を感じたことでした。
安宅の関所を通る際に、そこにも鎌倉殿(源頼朝)からの「判官殿(源義経)が山伏に姿を変えて通るやも知れぬから捕えて差し出すように」との命令と情報が届いていた訳なのですが、ここは事を起こしてはならぬと義経を守る四天王を制して受け答えをする武蔵坊弁慶。
東大寺の勧進僧と名乗る弁慶に、富樫左衛門が「それでは勧進帳を読み上げてみよ」と言う。
仕方なく、何も書かれていない勧進帳の巻物を取り出し、あたかもそこにも字が書かれているかのように読み上げる。
そして、もともと比叡山延暦寺の遊学僧であった弁慶は教養も高く修験道にも通じているので、山伏のいわれや心得、その他どんな専門的な質問にもよどみなく答えていくのです。
ところが、こんなにまでして切り抜けたのに、番卒の一人が目ざとく「義経に似た人物がいる」とみつけ、進言してしまうのです。
さあ、たいへん。
ここは何として切り抜けよう。
主君の身を守る為、そんなことをすればそれ即ち自分の死を意味するような行為であるというのに、弁慶は義経を金剛杖で打ち据える。
主君を断腸の思いで打擲する弁慶。
その必死の思いを感じ取った富樫右衛門が、全てを呑み込んで一行を通してくれたと言うお話でありました。
最後に、一行を追って「無礼の詫びに一献差し上げたい」と酒を用意して現れた富樫右衛門。
富樫右衛門もまた、知っていて見逃したと言う自らの死にも値する行為を敢えて断行したと言う訳です。
そんな富樫の所望に応え、延年の舞を披露する武蔵坊弁慶。
そして義経主従を先に無事去らせた後に、その厚情に深々と頭を下げるのでありました。
このエピソードの後に待っているこの義経と弁慶の結末は・・・
弁慶の仁王立ち。
そして義経の死。
それを思うと、このときの弁慶の死をも覚悟した真情には胸を熱くせずにはいられません。
「馬盗人」
ならず者悪太・・・三津五郎。
ならず者すね三・・・菊之助。
馬・・・三津右衛門。
百姓六兵衛・・・翫雀。
非常に明るい民話劇。
人のいい百姓六兵衛が買った馬を横取りしようと、六兵衛が馬を綱で木に繋いで用でも足しにその場を離れた隙に、盗んでしまった二人のならず者。
なんとそのうちの悪太、自分を綱に繋いでくれ、後から追いかけるから、と言うのです。
実はこの男、「自分は人だったのに天罰によって馬に変えられていた。今ようやく元に戻れた。」と六兵衛を騙すのです。
まんまと騙されて、懐の財布の金までやって開放してやった人のいい六兵衛。
けれど、この馬を売り飛ばして恋しい娘を身請けしようと思っていたこのならず者たち。
その二人がそれぞれ恋しい娘が、同じ娘と判ったので、何と喧嘩を始めてしまいました。
酒の酔いと喧嘩疲れで二人が眠りこけているうちに、何と馬を見つけてしまった六兵衛。
先ほどあれほど馬に戻るなよと言ったのに・・・でもこれで市場に再び馬を買いに行く手間が省けた、とのん気に馬を引いて行こうとする六兵衛。
そんな六兵衛に思わず「馬盗人!」と言ってしまった悪太。
そこで悪事が露見(笑)。
大喧嘩になっている間に、こりゃあたまらぬと肝心の馬は逃げ出して行ってしまったと言うお話でした。





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