花模様

舞台鑑賞





「王妃クリュタイムネストラ」  「クレオパトラ」  「マクベス」  「ロミオ&ジュリエット」  「ハムレット」
「アンデルセン」  「ドリーミング」  「恋山彦」  「バレエ・フォー・ライフ」  「エルリックコスモスの239時間」
「王女メディア」  「新ピーターパン」  「ジャニーズファンタジー」  「アスペクツ・オブ・ラブ」  「スーパー歌舞伎ヤマトタケル」
「橋姫」  「NINAGAWAマクベス」  「マルセル・マルソー公演パントマイム」
「玉三郎&ミハイル・バリシニコフジョイントバレエ」
「夕鶴」  「愛は謎の変奏曲」  「宮本亜門ダンス公演」



「王妃クリュタイムネストラ」


富山県の利賀村で、世界演劇フェスティバルを毎年するのですが、22歳の時に行きました。
ギリシャ悲劇です。
早稲田小劇場が利賀村の合掌造りの中で演じてくれました。
アングラっぽいもので(アングラ芝居・芝居の一つの手法)、鬼気迫りドキドキしました。
この利賀村の場所が又、怖い谷の上を通って行くのです。五箇山という所も秘境の地といわれて「人食い谷」の上を通って行く。
そういう感慨深い場所にあります。
円形劇場もあってインド舞踊も踊ってくれる日がありました。

「フラメンコinマドリッド&リドinパリ」



「アレグリア」



「クレオパトラ」

大地真央主演。
平幹二郎=シーザー。
江守徹=アントニウス。
1997年11月。
大阪松竹座にて。
大地真央さんの輝くような美しさと宝塚張りの衣装。
この物語は日経新聞にも連載されていて、挿し絵も美しく、それを再現してくれた感じでした。
又、クレオパトラは香りやハーブを駆使した女性でもあったので、たいそう興味がありました。
それに加えて平幹二郎氏の重厚な演技、江守徹氏の含みある軽妙な演技が格式をより高めてくれて魅力的でした。


「マクベス」

段田安則&南果歩主演。
1997年10/31〜11/2。
シアタードラマシティにて。
南果歩の「マクベス夫人がやりたいの」の一言から決まった上演であるとか。
主人と子供と行きました。
魔女の不可思議な踊りに、子供は見入っていました。
ただ、子供の好みから行くと、後に見た「NINAGAWAマクベス」の方が分かりやすかったとか。
ただ、これを先に見たお陰と言うのもあったかもしれません。
主人はたいそう見入っておりました。
暗い暗い空間の中で、休憩時間無しのノンストップで(6時半から9時半まで)上演されました。
段田安則氏の立ち回りががたいそうカッコ良かったです。
話が決まる前に、段田さんサイドから南果歩さんに「段田は足がミジカイけどそれでもいいの?」という打診があったそうで(笑)、「構わない」という受け答えがあったとか。
ラブシーンも舞台上で行われましたが、段田さんはほんとうに魅力的でした。
悪の華を見事に演じて下さいました。

「ロミオ&ジュリエット」

大沢たかお&佐藤藍子主演。
芸術総監督・諸井誠。
蜷川幸雄演出・芸術監督。
彩の国シェイクスピア・カンパニー(SSC)第一回公演。
1998年2月。
シアタードラマシティにて。

ジャングルジムのような、或いは鉄格子のような無機質で幾何学的な柵が舞台全体に張り巡らされてある・・・・・・・
そんな印象を受けました。
それが、物語が始まると同時に、その同じ空間がどんな風にでも変容して行くのです。
ちょっと添えられる小道具、役者の演技によって・・・
ロミオ役の大沢たかおが自在に軽々とその柵格子をよじのぼり、ジュリエットに求愛する姿も見応えがありました。
この物語には、死と常に隣り合わせの「若さ」という情熱・刃物・純粋さをいつも感じます。
若さと言うエネルギーをもてあましている青年達。
そして確執を捨てられずいがみ合う大人達のドロドロとしたエネルギー。
ジュリエットも今までは楚々としたイメージだったけれど、佐藤藍子嬢起用ということで、彼女の持つ「少女独特の厳しさ」のイメージから、自ら恋も死も大胆に選び取る気丈なジュリエットになるのだなと予想しました。
愛らしく一途なだけに、余計に雄々しさといじらしさを同時に感じるジュリエットでした。
監督・演出である蜷川氏から「好きなようにやりなさい」と言われ、藍子ちゃんは困惑したとか。
けれど、彼女らしさが最大のポイントだったからではないか・・・と感じました。
大沢たかおくんを私がはじめて見たのは真夜中にテレビで見た映画「チンピラ」の中ででした。
しがないチンピラで、最後に組に向かって刃を向けて逃げ回るんだけど、誰も追いかけてきさえしない・・・けれど、その中に言いようの無いほどの色気を感じさせてくれた役だったのです。
顔だって、パンフレットの中のコメントにもあるように、ごく普通の男の子と言う感じなのに、じわじわとした不思議な色気を私は感じました。
そしてこのロミオはしなやかで強靭で綺麗でした。
彼の持つ一つの演技力なのでしょうか・・・
そして、乳母役の片桐はいりがたいそう魅力的で軽妙な味を見せていました。
そして、シェイクスピアのものは、その独特の言い回し、言葉のセンスが大きなポイントであり、その格式の高さを表していて、どんなに近代風にアレンジされていても欠かせない部分です。
ただ、英語で聞く分には音楽的で韻も踏んであって判りやすいのだけれど、日本語の場合、シェイクスピアが好きでその言葉の詩的な美しさを愛着しているものにとってはとても楽しめるものなのですが、藍子ちゃんや大沢くんをお目当てに来ている若いお嬢さん達には分かり難い部分ではあったようです。
ところで、「何回キスしたか」などとシャレで話題にもなっていたらしいこの舞台でしたが、キス以上に「一時も側を離れていられない少年少女の可愛い恋」というラブラブ度が高くて、数えるのなんて忘れてました・・・・・・・・・

「ハムレット」

真田広之&松たか子主演。
蜷川幸雄演出。
1998年4月。
シアタードラマシティにて。

まず驚いたのは、まだ開演前から役者陣、そして蜷川幸雄氏が舞台上で観られた事でした。
ロビーに中の様子を写すモニターがあったのですが、そこにハムレットの母であるガートルード妃の役を演ずる加賀まりこさんの姿が見えて「まさか」と思ったら、そのとおりで、舞台上が楽屋と化した状態でした。
そこで「見せながら」メイクなどもしているのです。
ハムレットの真田さん、オフィーリアの松さんも見る事が出来ました。
前から8番目の席だったので、席についた時加賀さんを見上げる私と加賀さんの目が合った様な気がしました。
そういうところが加賀さんの女優としての凄さの一つだそうで、自分に注目している人は直ぐに感じて、本能的に目を合わせられるのかもしれません。
かくして役者に対して観客が一体化した気分になったあと、舞台は始まりました。
凄いもので、一度に雰囲気が変わり、この何とも艶めかしい狂気に満ちた物語は始まって行きました。
16世紀頃のデンマークの王子のこの物語は、日本の古武士のような鎧甲冑・衣装に彩られて進められます。
なるほど、ヨーロッパの人達にとってのこの物語は、ある意味日本人にとってのこういうロマンと重厚さを感じさせるものなのかと思わされました。
西洋の衣装だと感じないと言う意味ではなく、何か自分の中に流れている歴史の血みたいなものを感じたのです。
そしてその色遣いによって、なんとも艶めかしい狂気が膨れ上がっていくのを更に感じさせられてしまったのです。
これを西洋人が逆に見た時、又新しい驚きを感じるものなのかも知れません。
そして父王の亡霊によってこの国にうごめいている陰謀を知らされたハムレット。
けれど、その亡霊が自分の狂気が見せたものなのかどうなのか確かめる為、ハムレットは気がふれた振りを演じてみせるようになる・・・・・。
そのハムレットの真田さんの道化ぶりが何とも含みがあって笑いを誘う。
格好のいいハムレットとの二重の演技がお見事でした。
その立ち回りはさすがJACだわ・・・と思い出させてくれるほどのミゴトな往年のアクションスターぶりでした。
背も、170cmはないであろうと思えるのに、それだけに小回りも利く感じでした。
私は中居ファンで、しかもいい役を見ると必ず「中居くんにもいつかして欲しいなあ」或いは「何かのアイディアに取り入れて欲しいなあ」とか思ってしまいます。
このハムレットも30代になったら形を変えてでもいいから、こういう役をして欲しいと願ってしまいます。
真田さんと顔の系統が彼は似てると思っているので余計に・・・。
そして、その真田さんの言う「尼寺へ行け!!」という台詞がとても迫力がありました。
この舞台は、花道を自在に役者が行き来する形を取っていたので更に楽しめました。
松さんのオフィーリアも、さすがお育ちの良さを感じさせるような気品に満ちた愛らしいオフィーリアで雛壇ののお雛様で雛遊びをする童女と言う感じでした。
その雛人形が巧みに用いられていました。
彼女が気がふれた時の演技も、なかなか迫力がありました。
加賀まりこさんも、SMAPの木村くんが見に来て「加賀さんエロかったよ」と言ってくれたそうなんですが、確かにそれも一理あって見た目は色っぽかったです。
けれどいつもの色っぽい加賀さんというより、世間知らずのお后様が自分恋しさに夫が実の兄である前の夫を殺した相手と知らず、幸せな新婚気分に浸っているひとりの女。息子にも早く分かって欲しいと願っている悲しい母、という印象を受けました。
加賀さん自身の弁にも「無邪気で育ちのいい王妃にしたかった」というのがありました。
今までの母性中心のイメージの強いガートルードではなくて、と言う意味で。
その愛らしさが男から見てエロイ、というのはでもあるとも思います。
又、途中のまるで幕間モドキの墓堀り男達の狂言・・・というか掛け合いも観客を楽しませてくれました。
このように、いろいろ娯楽的に楽しんで見られる要素もふんだんに盛り込んだ「ハムレット」でした。
全体のなかで一番鮮明に残った色は、暗いトーンの中に在った「赤」。
ハムレットの黒のマントの中の「緋色」でした。

「アンデルセン」

石丸幹二主演。
浅利慶太演出。
劇団四季。
1998年4〜5月。
MBS劇場にて。

劇団四季は、とにかく演出が凄いというので、楽しみにして行ってきました。
映像では何が起きてもおかしくない世の中ですが、この「舞台」と言う空間で繰り広げられる世界って凄いなあと思います。
歌あり踊りありの見事な世界でした・・・・。
アンデルセンの若き日のストーリー。
子供と行ったのですが、一生懸命「にんぎょひめは?」「おやゆびひめは?」と聞いていました(^^;
そのお話を作った人の話だと教えれば、ちゃんと納得してくれましたが・・・。
その後「アスペクツ・オブ・ラブ」のパンフレットを見て「アンデルセンの人だ」と言った事を考えればそれなりに楽しんでくれたかな?
その石丸幹二氏は・・・・見た顔だと思えば「違いの分かるオトコ」NESCAFEのお方でした・・・・・。

「ドリーミング」

劇団四季。
1998年6〜7月。
MBS劇場にて。


原作はメーテルリンクの青い鳥。
これも子供と行きました。
チルチル・ミチル役を、当然ながら大人がこのコドモの役をしているという、ミュージカル特有の見ていて気恥ずかしいものがあるにはあったのですが、物語が始まるとそんなものはどこかへ飛んで行ってしまいました。
衣装などにも素晴らしいものがありましたが、夜の女王が圧巻でした。
まるで三輪明宏のようなこの夜の女王は魅惑的でした。

「恋山彦」

田村正和主演。
1998年5月。
劇場「飛天」にて。


・・・・・最もミーハー丸出しで見に出かけて行ったのが、この舞台です(赤面)。
通勤途中の阪急電車の貼り広告で見たのが、主演の田村正和さんの艶やかなる直衣姿。
髪を振りほどき、長刀構える、麗くも雄々しいお姿でありました。
すぐぴあへ行ってチケット取った・・・1人で行ってきました。
けれど席について、回り中がうんとご年配のおじさまおばさまなのには流石に少し気後れしました。
私くらいの年の人もいた・・・けど。
しかし、物語は、子供の頃見た同じ作者の「鳴門秘帖」を思い出させ、すぐにのめり込んでしまいました。
平家の落人の隠れ里の物語なのですが、とても面白く判りやすく、田村さんも30代の時のままで美しかったです。
雪舞しきる中での立ち回りとか、所謂役者を「見せる」見事な演出と立ち回りが会場を沸かせてくれました。
田村さん、やっぱり綺麗だわ・・・溜め息。
二役もなさってて、素敵でした。
これぞ「田村!」という感じの大見せ場。
とても化粧栄えする方と思いました。
これを見た時、何故かこういう手法を中居くんもコンサートに取り入れたりしたら面白いのになと思いました。
中居くんの歌は「見せる」歌という事なので。
その後見たコンサートの彼のソロ歌に、早変わりとかどんでん返しとか、いろいろ盛り込んであったのでとても嬉しかったです。
ところで、この時芦田伸介さんが禅司宗継の役だったのですが、昔からテレビで馴染んできたこの方が見られてこの時嬉しかったです。
最近お亡くなりになり淋しい限りですが、この時見られてよかったと思っています。

「バレエ・フォー・ライフ」

20世紀バレエ団。
1998年7月13日。
フェスティバルホールにて。

モーリス・ベジャール率いる20世紀バレエ団によるベルサーチ追悼公演。
衣装は全てベルサーチ。
今は亡きジョルジュ・ドンとフレディ・マーキュリーに捧ぐとのサブタイトルもついていました。
このジョルジュ・ドンをはじめて私が見たのは「愛と哀しみのボレロ」でのことで、この世に男女の境を越えた、このような美しさが存在するものかと、それはそれは驚きました。
まだ、私が20歳前後の時の事でした。
この公演中、VTRでドンによるニジンスキーの再現「ニジンスキー・神の道化」が流されましたが、本当に背筋がぶるぶる震えた・・・凄かったです。
まさに神でした。
そして、ジョルジュ・ドンはほんとうに神になってしまったのだ。
涙が出ました。
一緒に行った友人は、生前ドンが最後に日本に来た時の公演を見に行ったのだそうです。
舞台はナマモノ。
その後、日本公演他のビデオを取り寄せて買い、見まくったけど、やはり生のドンが見たかったです。
見られる時になんでも見ておきたいものだと改めて思った事でした。
ところで、そのビデオの「バレエの時」というのビデオジャケットのジョルジュ・ドンの姿が、スマスマで中居くんが演じたコントの、「ダンスのカリスマ・マサカ先生」におっそろしく似てるわ・・・ひょっとしてパロディったのかしら・・・。

「エルリックコスモスの239時間」


劇団四季公演。
1998年8月。
MBS劇場にて。

夏休みのファミリー向けのミュージカルでした。
子供と行ってきました。
未来都市の学園が舞台。
何でも機械化ロボット化されてしまった、そして全体主義のように番号化されてしまった学園。
笑顔を失い、個性も否定されてしまった子供達。
その中で、新しく開発された育児型ロボットエルリックコスモス通称エルコスが活躍します。
けれど、彼女もまた機械なので、そのことに反発した子供の一人を操った教師側の人間によってエルコスはやがて、子供達ひとりひとりの可能性と個性の輝きえの希望だけを残して消滅の道をたどります。
その、胸を打つストーリーもさる事ながら、教師側の人間の「人間臭さ」が笑えもし、面白かったです。
完璧に悪玉トリオになっちゃってる(笑)。
昔のアニメの「タイムボカンシリーズ」のドロンジョ・ボヤッキー・トンズラーなどのキャラを思い出しました。
でも、あの女性の方は宮川大助・花子の花子みたいな風情だった。
そんな所もストーリーに膨らみを持たせてくれました(^^)。

「王女メディア」


平幹二郎主演。
演出:蜷川幸雄。衣装:辻村ジュサブロー。
1998年7月。
近鉄劇場にて。

これぞNINAGAWA&平幹二郎、と言う感じの舞台でした。
一番前の右端で見ました。
凄い迫力・・・・・
役者は全員男性。
その一切を焼き尽くし、呑み込んでしまう、太陽と母性の持つ残酷な一面。
その太陽神の末裔かと思われるようなメディアでした。
座席が余りに前過ぎて、最後に太陽の神へリオースの御車に乗って大空に飛び去るメディアは真下から見上げる感じで、せっかくのシーンが残念でしたけれど、臨場感と言うのか、自分もまた舞台に上がっているような錯覚を起こさせるほどの位置で見られたと言うのは幸せでした。
又、メディア役は久しぶりの平幹二郎、ということで、この作品の原点であるとも言えるこの「NINAGAWA&平」のコンビが見られた事は素敵でした。
何しろ触れ込みが「僕等のメディアは素敵です」でしたし。
ある意味、エログロとも言えるNINAGAWAと平の神髄とも言えるこの「“攻め”であることの徹底した美学」は、初演当時賛否両論であったとか。
けれど、辻村ジュサブローの衣装に彩られて、その女の情念が、妖しくも艶めかしく伝わってきました。
外国で絶賛されて戻って来て再評価を受け花開いたとか。
自分のしている事を信じ、貫けばきっと判る人には判るものなのだなと、そのエピソードを読んで感じました。
1983年、ギリシア悲劇発祥の地であるアテネ公演では「本来ギリシア悲劇をどう上演すべきかを日本人から学んだ」とまで言わしめたこの作品。
ギリシア悲劇伝統のコロス(舞唱隊)を配しながら津軽三味線を取り入れる・・・しかも男性オールキャストと言うこの作品はさぞかし異国情緒にも溢れ、本場ギリシア人を含む西洋人を驚かせた事でしょう。
又、ギリシア悲劇の持つ血なまぐささとNINAGAWAの血なまぐささが、日本人向けと言うよりそれを越えてこの作品に見事にマッチしているようでした。
この血なまぐさい物語の中で、天使のような子供達が一際綺麗でした。
その分哀れさも誘ったのでしたが・・・・・・・・・・
このメディアの凄まじさも、それはそれは・・・なのですが、夫の言い分もかなり勝手・・・しかもそれが正しく正義だと信じている当たり。
この時代の、結局男性中心社会の言い分で、その中でメディアのような女は暗黒の闇の部分の女王、魔女にされてしまうのでしょうか。
しかし、キリスト教以前のこのギリシア世界は、同時に大地原母信仰が大きく花開いていた時代でもあって、その大きな勢力争いが続いていた時代であったのかもしれません。
だから、メディアは最後は殆ど神と化す。
メディアを裏切った夫は、金の羊の皮を持ちかえった英雄ながら、そのまま物語からも消え去る運命です。
そして、ギリシアの神達もかなり残酷で、そういう物語も多いです。
この舞台、ギリシアのパルテノン神殿でも上演されたとか。
かなりの見物だと思います。
日本でも、この前の上演は、奈良の薬師寺で行われました。

「新ピーターパン」

企画制作・ホリプロ。
1998年8月。
大阪厚生年金会館にて。

実家の母と子供の3人で行ってきた、ホリプロ恒例のミュージカル。
前から5番目の真ん中で観たので、母も喜んでいました。
子供のものだと最初思っていたらしいのですが、「面白かった」とたいそうな評価ぶりでした。
今年は13歳の新人の女の子がピーターパン役。
ホリプロのアイドルらしく、あどけなくカワイイコでした。
そんなカワイイ新人ちゃんで初々しかったのですが、回りを固める俳優やダンサージ陣は、かなりのベテラン。
フック船長&ダーリング氏は、「フックをやらせろ」と15年間言いつづけてきたと言う劇団新感線所属の、第5回読売演劇大賞男優賞も受賞の個性派、古田新太氏。
海賊の踊りやインディアンの踊りが、バク転ありバク宙ありで、派手でしか美しく、又見事でした。

「ジャニーズファンタジー」

ジャニーズKYO TO KYOメンバー。
随時公演。
京都駅ビル内シアター1200にて。

そのこけら落としの1997年夏。
その8月25日のトークゲストが中居くんで、SMAPからは中居くんと慎吾くんがそれぞれ別の日に登場。
それは別名ソロコンとも呼ばれ、大変な思いをしてようやくチケットを手にし、見てきたのが最初でした。
その後、その華麗な京都絵巻、今様歌舞伎や宝塚の技法をふんだんに取り入れたこのミュージカルを見る為に、そして子供や母、主人に見せる為に、合計4回観に行ってきました。
ご贔屓のタレントを見るのが目的でなければ、この定員900人の劇場は、一番後ろでもかなりの臨場感を持って楽しめそうな劇場です。
中居くんの時は2階のスカイシートでしたが、前から8番目の真ん中、と言う席が普段の日ものならとることができました。
ショータイムになると、ジュニアのファンの子達がたいそう盛り上がって総立ちになるので、私も一緒に立ちあがって手を振ってあげます。
SMAPの歌なんかも何曲も取り入れてくれるので楽しかったです。
うちの子が今11歳。
SMAP香取慎吾がデビューした年です。
ジュニアの中には8歳とか9歳とか言う子もいて、そんな、うちの子と変わらないような子達がプロとして頑張っているのを見るのはやはり可愛いです。
で、母も「宝塚より好みかも」と喜んだそのミュージカルKYO TO KYOのジャニーズファンタジー。
源氏物語や弁慶と牛若丸、そしてヤマタノオロチの龍退治。
伝統文化を今の世の若い子にも伝えてくれそうな見事な演出ぶりでした。
なお、私の今住んでいる所は流石京都。
子供の同級生のお父様が、その龍退治の龍の舞台装置や小道具を作っておられるそうです。
この龍退治の時の女性が、宙に浮かぶのですが、どんなに双眼鏡やら何やらで目を凝らしてもピアノ線一つ見えず、どんなにして浮かんでいるのかが判らない・・・・・

「アスペクツ・オブ・ラブ」

石丸幹二主演。
劇団四季。
1998年8月。
MBS劇場にて。

旧毎日会館・毎日新聞社ビルがこのMBS劇場となって、愛顧されてきたこの劇場が、大阪駅前の再開発の一環として閉鎖され、場所を移すこととなりました。
その最終公演がこの「アスペクツ・オブ・ラブ」で、この夏、大阪のみの限定公演であったようです。
私は仕事の関係上もあって、平日の日の方が行きやすいので、いつもとても良い席が取れるのですが、今回もとてもいい席で、この本格的ミュージカルを堪能することが出来ました。
今までの四季の公演は、大体演劇形式でしたが、今回のは全編歌。
作曲は、「キャッツ」「オペラ座の怪人」など大ヒット作を生み出したアンドリュー・ロイド=ウェバーの最高傑作。
奔放に生きる女性ローズと若きアレックス、そして叔父、その愛人、そしてローズと叔父ジョージの間に生まれた娘まで巻き込んだ愛の交響曲でした。
日本語の歌だとちょっぴり照れ臭くて、原語だとどんな感じなのかなあ、とも思うのですが、流石に劇団四季は歌も素晴らしく、日本語であるが故にストレートに感情が伝わってきました。
この後、MBS劇場は新しくオープンも決まり、そのこけら落としが「ライオンキング」。
前の場所の方が交通の便も良かったし、98年になってからだけど、子供と何度も通ったのに淋しい限りではありましたが、新しい方もとても楽しみです。

「スーパー歌舞伎ヤマトタケル」

市川猿之助プロデュース&主演。
1998年10月公演。
大阪松竹座。

なんと、大阪では初の公演であったそうです。
今までは、最後にヤマトタケルが白鳥となって客席3階の後方にまで跳び上がって消えて行く演出のための設備が無く、今回は松竹座が改装されたから、ということでした。
子供にぜひ見せてやろうと、学校を休ませて(^^;;;きちんとスーツも着せて連れて行きました。
私も黒のフォーマルドレスで行きました。
2階の一番前、そして真ん中の席でした。
もう、子供もたいそう喜ぶ見事な演出ぶりで、言葉も日常の喋りに近かったので身を乗り出してとても楽しんでくれました。
歌舞伎ってまるでコンサート感覚で楽しめるんだなあ、とも感じ、感慨深かったです。
お能や狂言は見たことがありましたが、私にしても歌舞伎初体験だったのです。
幕間には客席で幕の内弁当が食べられたし、劇中も、その内容の事で回りが盛り上がってひそひそ語っていたあたりがもうコンサート感覚で、子供も楽しかったようでした。
そして、熊襲の宴会やらクマやら鬼やら大猪が飛び出しても来るし、ここぞ見せ場、と言う時は大立ち回りしてくれるので、子供も楽しんでいました。
「見せる」と言う意味でも最高傑作の一つなんだろうなあと、満喫してきました。
市川笑也など女形もとても美しかったです。
これぞ「芸」と言う感じでした。
草ナギの剣の命名秘話のシーンの燃え盛る炎の演出など、実はSMAPコンサートで中居くんが自分のソロで真っ赤な大きな旗を振り回すシーンがあるのですが、それを思い出してしまって感涙しました。
舞台全体で真っ赤な旗や真っ赤な垂れ幕が揺らいでおり、中居くんはもしかしてこういうのどこかで見たのかな、アイディアの発想のポケットにしまっていて素材にしたのかなあとまで思ってしまって。
この真っ赤な旗と言うのは、大体燃え上がる炎や情熱を表す演出の技法の一つでもあると言うことでした。
弟橘姫が、海の神に身を委ねるシーンでの荒れ狂う波のシーンなども素晴らしかったです。
この、猿之助のスーパー歌舞伎が各界に影響を与え、世界でも評価されていると言うのもとても素晴らしいと思いました。
こういうのなら、今の若い人もどんどん歌舞伎を楽しむことが出来るし、そうやって伝統を引き継ぎ伝えて行くのであろうかと、そんな事まで考えさせられ、感慨深い舞台でした。

「橋姫」


ホリ・ヒロシ公演。
1998年10月。
京都府立文化芸術会館にて。

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの怪談「橋姫」をメインに、「紀州道成寺」も含まれたこの全国公演の最終公演を、子供と見に行ってきました。
文化芸術会館ははじめて行きましたが、何か京都らしいこじんまりとした趣のある会館でした。
道成寺は、子供は最初少し眠そうでしたが、みるみる大蛇が出てくるシーンになると、目を見張らせて見ていました。
浄瑠璃を思わせる、人間とホリヒロシの作る人形との共演で、まるで本当に生きているかのようなその人形は気品も高く素晴らしかったです。
メインの「橋姫」の方は、女優の吉田日出子さんが語りべでした。
独特の、含みのある愛らしい調子で、まるで全員の目を覗き込むかのような感じで、私達に語りかけてくださるのです。
声に抑揚があって、愛らしくも怖くもなる事の出来る素晴らしい女優さんだと、間近で見て改めて感じました。
「変わっているから」「よくわからない」こそ倍素晴らしい方。
そして、会場自体かなり狭くて「ちょうどいいんですよ」と、役者冥利に尽きるような広さであったようです。
物語は道成寺とうってかわってモダンで洒落た感じになりました。
吉田日出子のお節さん役の声の「へるんさん」も、とても暖かみと愛情と聡明さが感じられました。
音楽が・・・・又哀愁を帯びていて、そしてかきつばたの花がはらりと散る様がすきとおるように奇麗でした。
子供の首が落ちる様はとてもおそろしく、橋姫が美しいだけに倍おそろしく胸が引き裂かれる思いだったのですが、それは幻覚のシーンで、最後には切ないほどの温かさが残りました。
とにかく、非常に奇麗な公演でした。

「NINAGAWAマクベス」

北大路欣也&栗原小巻主演。
演出:蜷川幸雄。装置:妹尾河童。衣装:辻村ジュサブロー。
1998年10月。
琵琶湖ホールにて。

出来て間もないこの琵琶湖ホール。
とても奇麗でした。
南仏風のイメージを、この日本一の湖のほとりで楽しめる様に工夫されていました。
一種の文化ホールと言う感じでした。
子供を連れていったのですが、開幕前にビュッフェ式のレストランで軽くお食事を頂き、もうすっかり暗くなった湖のほとりを少し歩いて時間を過ごしました。
幕間にはそのレストランが、ティラミスを含めた数種類のケーキやカクテル、南仏風オープンサンドなどを用意してくれていて、優雅な感じを受けました。
劇場は、あたらしいせいもあり、客席の椅子もとても奇麗でした。
この作品の演出で、全体にもやのようなものがかかっていて、そうして舞台は不思議な感じだなあと思ったら、何と「仏壇」をイメージしたものだったのです。
人生は仏壇の中でドラマを繰り広げているようなもの・・・という意味合いが込められてありました。
始まってすぐに、とても腰の曲がったお婆さんが後方からやっとの思いで歩いてこられるのを目にして振り返ったら、それが物語の見届け役の老婆達・・・つまり役者でした。
この西洋の物語をかくも日本と融合させた物語に仕上げているこの「NINAGAWAマクベス」は、本場イギリス人を驚かせる筈だ・・・と思うくらい見事にマッチしていました。
ハムレットも鎧甲冑だったのですが。、まさにこれは桜舞い散る日本人の美意識の世界を感じさせて呉れた物語でした。
この血まみれの残酷な欲望の渦巻く物語が・・・・・
何しろマクベスは北大路欣也!!
この物語を欣也さんに演じてもらうと言うのは、長年の夢であったそうです。
北大路欣也のうつくしくも見事な立ち回り!!
最後の大見せ場のシーンで欣也さんが二刀流になって、バッタバッタと向かう敵をなぎ倒すのです。
もう一瞬にしてミーハーになってしまい、思わず声は出さずに心の中で大きく、「欣也さんカッコイイ!!!」と叫んでおりました(*^。^*)。
悪役大往生の筈のシーンなのですが、正義のヒーローが立ち回る、そんな感じを与えてくれて、百花繚乱「悪の華」を北大路さんは見事に花咲かせて下さいました。
馬に乗るシーンもあって、「あれって人間なんだよ」と子供が面白そうに言っていましたが、そのことにひどく感心するほどミゴトなお馬さんでした。
その人間馬に役者さんは上手に・・・というか馬が上手いのかもしれないけど上手に乗っておりました。
マクベス夫人の栗原小巻さんも、ミゴトな悪女ぶりで素敵でした。
子供のたいそう喜んでくれてよかったです。
蜷川幸雄氏の演出のものは、客席のスペースも使っての、歌舞伎で言う花道の仕組みをふんだんに利用したものが多いようです。
で、臨場感もあって、私には観たと言うより「体験した」と言う印象です。
この初めてのリゾート地っぽい場所で観たと言うことも通して素敵でした。
そして、最後に私に心の中に染み入るように残った印象は、秋だったけれど日本人の美意識としての、降りしきる桜の花びらでした。

「マルセル・マルソー公演パントマイム」


1998年10月6日。
京都会館にて。

パントマイムは演劇の原点であると言います。
思考する肉体。
演じられたのは「七つの大罪」から。
沈黙の空間で無言のままマイムは行われました。
マルセル・マルソーはすっかりお年を召された感じだったけれど、綺麗でした。

「玉三郎&ミハイル・バリシニコフジョイントバレエ」

玉三郎&ミハイル・バリシニコフ。
1998年8月30日〜9月1日。
シアタードラマシティにて。

席は一番後ろでやっと取れた一席。
けれど、割に小さな会場と言う事もあり、双眼鏡片手に見惚れてきた公演でした。
『君が代松竹梅』
流石世界に誇る女形坂東玉三郎と言う感じでした。
この日唯一の玉三郎の女形姿。
『小鼓、太鼓と笛による舞』
日本独自の音楽で踊りたいと言うバリシニコフの強い希望で生まれた舞だそうです。
笛に始まり、小鼓と太鼓の加わった乱拍子へと進みます。
有限な響きの中でバリシニコフと玉三郎が日本舞踊の伝統的な動きで登場し、現代的な踊りの要素を組み込んでいくのですが、シンプルは日本の美の極致ということをしみじみと思わされた舞曲でした。
さらりとしたシャツ姿の玉三郎が新鮮でした。
そのなめらかな動きが綺麗でした。
『アンスポークン・テリトリー』
95年初演でバリシニコフの為に作られ、世界中で公演されてきた演目だそうですが、無音の中、照明とバリシニコフの動きだけで空間、ひいては世界がそこに繰り広げられていきました。
息を呑む舞台でした。
音の無い音。
色の無い色。
始まりは終わり、終りは始まり・・・・・・・・・・
そしてやはりシンプルは単純ではないのです・・・・・
『二人のカンタータ』
玉三郎とバリシニコフによってこのバッハのカンタータが踊られるのですが、これは宗教音楽であり、それゆえに、一種の儀式的な荘厳さも感じられた舞台でした。
空間の魔術師達。
白と黒だけのシンプルさによってよりいっそう艶めかしく力強く心に迫った舞台でした。
終わった後ふうーっと溜め息一つ。
素晴らしかったです。

「夕鶴」

坂東玉三郎&渡辺徹主演。
1998年11月。
シアタードラマシティにて。

木下順二のこの夕鶴の戯曲は昔教科書にも載っていて馴染み深いものでしたが、玉三郎によるこの夕鶴が、私が見た初めての舞台での夕鶴でした。
おつうは、恩返しではなく与ひょうの心根が嬉しかったから、与ひょうを愛したから彼の元にやってきたと言うのがこの戯曲の新鮮さで好きな部分でした。
ああ、やはりつうは鳥だから、母と子の温もりのような小さな幸せしか見えていないのだなと思いましたが、それでも与ひょうの為なら自分には理解できなくてもそれを認め、愛そうとする姿がいじらしかったです。
姉さん女房の玉三郎も良かったけれど、雪の中で百花繚乱の玉三郎も見事でした。
そしてまさにそこにいたのは「一羽の鳥」でした。
渡辺徹の与ひょうも、実にはまり役でした。
この舞台。
一番前の右寄りの席で見たので、最後の舞台挨拶の時の玉三郎と目が合って、いえただそれだけの事なのですけれど、とても嬉しかったです。

「愛は謎の変奏曲」


仲代達矢&風間杜夫・二人芝居。
1998年11月。
新神戸オリエンタルホテルにて。

この名優二人の二人芝居。
とても楽しみでした。
芝居の原点を見せてもらえるような気がしたのです。
芝居の内容については、かなりショッキングな起承転結ですので、見た人だけの秘密なんだそうです。
もしや??とわずかに期待を抱かせて、その期待を裏切らなかった転結。
いえ、想像以上でした。
一幕目が静かに展開し、それを全部ひっくり返すような二幕目。
仲代氏の含みのあるユーモラスかつ重厚感のある演技と、風間氏の多面性のある幅広い持ち味が活きてました。
風間杜夫は男にも女にもなれるとだけ言っておきましょうか・・・
二人だけの芝居と言う事は、同時にそこに全ての世界が「在る」ということ・・・凝縮されていると言うこと・・・
そして、パンフレットで風間さんが、芝居についてつかこうへい氏にかつて厳しく言われたことを語っておられるのを読んで、さらに嬉しかったです。
「芝居とは関係性だ」ということ。
自分を見せる以上に相手を見せることで、相手との関係を見せることで芝居は展開する。
それは同時に自分を見せる行為でもあるのだと言うこと。
まだまだ未熟でありながらもとても魅力を感じる中居くんの「芝居」のことを考えました。
バラエティや再会の番組を通して、中居くんはこういうことを肌で感じ学んでいるから私は惹かれるのかなあと思ったから。
そんな「関係性」をこの二人芝居は感じさせてくれました。
そして、これは個人的なことですが、この風間杜夫氏は私の知る最近お会いしていないある方にとてもよく似ておられて、今回舞台で拝見してまるでその方にお会いできたみたいに懐かしく嬉しかったです。

「宮本亜門ダンス公演」


1998年12月。
シアタードラマシティにて。

宮本亜門始動!!との触れ書きに惹かれて行ってきました。
私は宮本さんのダンスは見たことが無いのですが、
「宮本亜門のダンスは立ち姿さえも美しい。その部分で中居くんが似ているので驚いた」
という感想を、ある方に聞いたので非常に興味を持ったからです。
けれど、これは亜門氏のダンスではなく、純粋に亜門氏のプロデュースでした。
けれど、そこに存在した、指の先まで神経の行き届いた舞踏はとても美しかったです。
まさに立ち姿さえも美しい。
踊りには基礎ももちろん大切ですが、それ以上にやはり「自己表現」の手段なんだなあとしみじみと感じて来たことでした。



99年

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