風のよる

第7章

あまく美しい薫りのするトンネルをぬけた。
そこはいちめん緑。暗いまったりとした孔雀石の国。
粉っぽい緑の風がふたりをつつんだ。
その風のもつあまやかな毒にあてられて目のまえがくらくらした。ノワールに抱きかかえられるようにブロンはあるいたが、ついに気を失ってしまった。
ブロンは夢を見ていた。緑青色の無数の蝶がとんだ。蝶は倒れているブロンをとりかこみ、手といい足といい胸といい、鱗粉をちらした。
ブロンのからだは青く染まり孔雀石のようになった。
「ブロン・・・ブロン。」
ノワールによばれてようやく目をあけた。
ノワールの腕のなかだった。なんだかほっとしてまた気をうしなった。
毒が全身にしみとおっていく感じが不思議にここちよかった。
あの日、妖精の女王に抱かれた時の感覚と不思議に似ていた。
そのうち目の前がすきとおるようにはっきりしてきた。ノワールもまたブロンを抱きながら倒れているのだった。
驚いたブロンはやっとの思いで身をおこすとノワールを抱いて這うようにしてようやく緑の風をすぎ、花園にでたのだった。
ふたりはしばらくまだ抱き合ったまま横になっていた。
そうしてようやく起きあがってあたりを見渡すと、そこは石を彫ってつくったみごとな花園だった。
「すごいな・・・みんな孔雀石でつくったんだな。」
ブロンがそのおおきなアーモンド・アイを見張らせて呟いた。
ふしぎな園。石でできているのにみんな生きている。
薔薇、百合、桜草、グラジオラス、菊、コスモス、雪割草。あらゆる季節の花が咲いている。
そのあまりに驕慢な美しさにくらくらした。
全身にしみとおるあの毒の甘さがここにあった。
すべて緑でできたこの孔雀石の園の毒に、ふたたびブロンはくらくらとしていた。
ブロンが吸い寄せられていく・・・ノワールが不意と不安になったとたん、バサバサッと音がした。
大きな鷲。それも緑の石でできていた。頭の上をキイと飛び、ふたりは慌てて伏せた。
「危ないっ!」ノワールがブロンを抱き抱えて飛んだ。
蛇。孔雀石色した石の蛇。
しゅるしゅると木にのぼりこちらを睨んでいる。
木の葉の陰からいくつもの眼が光っていた。
「あっ!」
もう一匹の蛇がしたに隠れていたのだ。蛇はブロンを噛み逃げ去った。
「 ブロン・・・!」
ノワールの全身から血の気がひいた。
ブロンはゆっくりと倒れ、気を失ったようだった。
あまりのこと・・・おそれていたこと。それを現実目の前にして、ノワールの身体もわなわなと震えていたが急いで傷口を吸って毒を出そうとした。
何度も吸って出しはしたけれど、ブロンは目をあけてはくれなかった。
ノワールは震える手をブロンの頬にあて、その唇にくちづけた。
あまりに急だった。
ブロンの体はどんどん蒼ざめ、孔雀石とおなじ、色になっていった。
やがてブロンは石となった。彼はもはや息をしていなかった。
ブロンの美しさを、永遠に留めこの胸に抱きたい・・・そう思った日もあった。
けれど、あのやわらかさ、キラキラと光りに透けてうごめく躍動感。
自分をみつめてくる強い瞳。
そのすべてを失った気がした。
まるで美しい彫刻のようになったブロンを抱き締め、ノワールはこのまま自分も永遠の眠りにつくことを夢見始めていた。
その眠りの中に、自分の愛したブロンのすべてがあるような・・・気がした。
そこに行けば自分もそれが理解できる・・・そんな気がしていた。

シェンがあらわれたのは、そんな時だった。
シェンは、大空からしずかに舞い下りてきた。
驚くノワールをよそに、しずかにブロンを抱き取った。
そうしてじいっと自分をみつめるシェンの目に、やがてむらむらとノワールのこころに怒りが燃えはじめた。

「返してくれ」
ノワールは言った。
「ブロンを返せ」
他の言葉をすべて失い、ノワールはその言葉をひたすら繰り返した。
その余りに単刀直入な言い方に、シェンはふっと微笑んだ。
その笑い方に、ますますノワールは怒りが込み上げてくるのを感じた。

「そう怒らないで」
やがてシェンはしずかに呟くように言った。
「何でそんなに冷静でいられるんだ!」
ノワールは切るように鋭い声で叫んでいた。
「お前にとっても、ブロンはたいせつなひとじゃなかったのか。それともお前は物も言わなくなってしまったブロンがいいのか!」
シェンはじいっとノワールを見つめ返した。
そこには不思議な光があり、納得しないままにもノワールは黙った。
けれど気持ちはおさまらないまま、ノワールは唇を噛み締め、俯いた。
ブロンのうつくしい眼が心に浮かんだ。
もう一度自分の心をなだめ、時に滾らせてくれるあの眼に逢いたい。
ノワールの眼からは涙が溢れていた。
そして涙を拭おうともせずに、シェンのとぐろに包まれ石と化しているブロンを見上げた。
シェンが、とてつもなく大きく見えた。
子どもだったのに・・・ブロンの腕に飛び込みすぐにこいつは自分に火を吐いてきたのに。
可愛かった。
自分なりにこの破天荒な竜の子どもがやはり可愛かったのだ。
「お前には何か方法があるのか」
ノワールは再び俯くと、そうぽつりと呟くようにして言った。

その言葉を聞くと、シェンはほうっと息を一つ吐いてこう言った。
「深い山を越えたところから湧き出している泉の水を汲んできて」
ノワールはおおきく目を見開いた。
「ノワールにしか出来ない事なんだ。頼むよ。」
シェンは呟くように優しくそう言った。
シェンは、そのまますうっと少年の姿に身を変えた。
ノワールは目を見張った。
けれど同時にそれは嬉しい驚きだった。
そうしてシェンはその逞しい腕に抱いたブロンをノワールの腕に抱かせた。
孔雀石のように美しい石となったその身体に触れると、ノワールは再び涙が零れた。
シェンは再びブロンを腕に抱くと、花園の花をあつめたやわらかな褥のうえにブロンを横たえた。
そして再びシェンは竜に姿を変えると、ノワールを背に乗せて大空に飛び立つのだった。

永遠につづく・・・

第8章


戻る