風のよる

第4章

竜の子は、ノワールが大地の内奥で見たのと同じ目の色をしていた。
ちいさいのによく火を吐き、ブロンを面白がらせた。
竜の子シェンは、ブロンにはひどくなついた。
ノワールは、その目の色にひどく興味をもったが、どこか破天荒で掴み所がなく、未知のものさえ感じさせるシェンのその目と、しょっちゅう吐く火はどこか理解を超えていて、それがノワールを不安にさせるのだった。
シェンは、すぐ火を吐くくせに、ブロンには吐かなかった。
ブロンのその透き通った目でみつめられると、すぐおとなしくなった。
ノワールにはやたら噛み付き、同じようなことをすぐしたがった。
悪戯ばかりし、ノワールが怒ると、しまいには火を吐く。
そしてすぐブロンの懐に飛び込んだ。
ブロンが睨むとシェンは涙ぐみうちしおれる。
「お前のまえではこいつ、いつまでも無邪気なこどもの振りをする」
ノワールは不満だった。
ブロンは苦笑した。
「だって・・・こどもだもの」
そんなブロンの腕の中でシェンはニヤッと笑いノワールを見返すのだった。
しかし、シェンは次々と珍しい木の実やら花の芽やらを見つけ出し、ふたりをたのしませた。
ノワールもいつか、その理解を超えたシェンのエネルギーを、たのしいものに感じ始めていた。
「だってこいつ・・・竜だものな」
そしてシェンは少しずつ大きくなり、やがて時折そのとぐろの中にブロンを乗せて眠るようになった。
シェンが決してそのときノワールを寄せ付けなかった訳ではないし、そのシェンに護られるようにして眠るブロンの顔はうつくしかった。
また竜の習性か、大きくなるにつれ、決して一所に留まらず飛び歩くようになったシェンは、いつも一緒にいる・・という訳でもなかったのでそのこと自体はノワールを決して不満にさせるものではなかった。
だがノワールにはひとつ理解できないことがあった。
星が特別うつくしいよるになると、決まってブロンは意識を失う。
シェンが来るまでこのようなことはなかった。
そんなとき決まってシェンはそのとぐろの中にブロンをつつみ込んだ。
そこにはうつくしいエメラルドグリーンの火がたちこめるようで、ノワールには立ち入り難いなにものかがあった。
目覚めた時のブロンの眼がさらにうつくしく、夢見るようであったことがさらにノワールを黙らせた。
理解はできないが、そのたびにブロンが美しさを増していくことは、決してイヤなことではなかったし、満足すらした。
ただ、あの妖精の女王とともにかえってきたときに感じた言いようのない不安・・ブロンが自分の理解できない世界に「存在」していくことへの不安。
そのことだけが拭い去れないのだった。
それでいて、シェンのほうにはその世界が見えるらしいことがますますノワールを不安にさせた。
時折、ふたりになるとき、ノワールはブロンを抱き寄せ唇を髪によせながらささやいてみる。
「お前の居場所が時々またわからない」
と。
ブロンは笑って答えない。
そしてふと、呟いてみせる。
「お前は自分の居場所がわかっているのか?」
ノワールは俯く。
そうなのだ。
シェンの目の色のなかに、自分の求めているあの大地の内奥の色を見た。
だが、自分自身の中にはまだなにも感じてはいない。
ブロンは・・・少なくともブロンはブロン自身のあの不思議な色とエメラルドグリーンの焔の中に「存在」している。
はかなく、壊れそうな一瞬のうつくしい揺らぎを、永遠のものとして共に歩いていく為には、ブロンの位置を見失わない為には、自分が、自分の足許をしっかり見つめていかなくてはいけないのだ。
ブロンの言葉を、漏らさず受け止められる位置に、自分はいたかった。
だがシェンは、最初からコトバではなく、存在そのもので、ブロンを感じ、受け止めているかのようにみえた。
この摩訶不思議なこどもの竜を、ノワールは怖れた。
ノワールは焦っている自分に気がついていた。
シェンを、もっと今以上にスナオに認められたら・・・あの何だか判らない無性な力を受け容れ、今まで見たこともない自分を見つけられたら・・自分の殻を壊せたら。
それはでも、今の自分には不快なことかも知れない。
ノワールはふっと溜め息をついた。

エメラルドの森。
そこはどこまでも奥深くすいこまれるような広がりをみせていた。
風がふくたび一枝一枝さわさわと揺れた。ふれると葉がはらはらとおち、あまりのはかなさに思わず手がすくむ。
樹々のあいだがより深くまったりとした繁みになっている。けれどその繁みさえ暗緑色に輝き、しっとりと濡れている。
その気泡はエメラルドがエメラルドとして生まれるそのときから内包し、あたためてきた太古からの気体である。
その愛がぎっしりつまっているあでやかなるインクルージョン。
エメラルドは強いけれどはかない石である。それはエメラルドがたくさんの傷や痛みに耐えてきたから。
そしてその痛みこそがその碧をより深くし、その痛みを知るこころこそより多くの痛みを感じすぎるくらい感じさせるのだろうか。
エメラルドには薔薇ひとひらほどの赤がある。
青くすきとおった石アクアマリン、ピンクのモルガナイト。黄色のヘリオドール。
すべておなじぺリリウムの石の中で、この傷を内包したエメラルドだけが特別の石である。
それゆえにはかなさも持つ石である。
感じるこころ。
そのことの痛みが痛かった。
けれどこのこころだけは見失いたくない。
星のうつくしい夜、ブロンはふたたび意識を失いシェンのとぐろの中で、夢うつつにこのエメラルドの森を感じながら、現実と夢魔のあいだをさまよっていた。
抜け道のない永遠の夢魔のなかをブロンは漂っていた。
居場所もなにもわからない。
ただ、この感じるこころを、見失いたくなかった。
「ノワールは何故すぐコトバにしたがるのだろうな・・・」
ブロンは夢うつつに呟いた。
夢の中で、シェンは黙ってブロンにくちづけた。
ただ、今は感じているだけだった。
言葉にならないときは、しずかに受けとめているだけだ。
簡単に言葉にはしたくなかった。
ほんとうの言葉に熟するときを待つ為に。
あの、妖精の女王の甘い乳房を口に含み、眠りについたときから、そのブロンだけの出口のない夢がはじまっていたのだった。

永遠につづく・・・

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第5章

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