風のよる

第3章

ラヴェンダーのかおりがした。
いえこれは・・・ぱあっと匂いたつジャスミンや、清しいレモンの香も含んだ天上のかおり。
「妖精の森か・・・」
ノワールが呟いた。
「可愛いな・・」
おもわずブロンはそう口にしていた。
何故なら花の陰からそのちいさなひとたちが見え隠れしたためである。
ノワールはちょっと眉をひそめた。
「確かにね・・・だがすぐやっかいごとをまきおこすらしいんだ。ほんのいたずらごころらしいが。ブロンも気をつけろよ・・・」
けれど妖精たちはほんとうにかわいく、しかもうつくしかった。
ブロンには、こんなにたくさんの妖精がまるで蜜蜂みたいに群れをなしてひらひら翔びまわるのを見るのははじめてだったのである。
妖精たちもふたりがめずらしいらしく、さいしょは花の陰から覗いていただけだったのにどんどんあつまってきた。
しまいに顔のまわりといい体じゅうといい、ひらひらとまつわりついてすっかり身動きできなくなった。よろけても倒れても次々とやってくる。
「おい・・・よしてくれ・・」
ふたりの我慢が限界にきそうになったとき不意にみんなとび去った。
妖精王と女王だった。
「ようこそ我が森へ。暫しくつろいでいってください。なにか用意させますのでお待ちあれ。」
ふたりはほっとして微笑みあった。
とたんにあたりは紫のアーチにかわり、床面は白くあわい霞のようなものがたちこめる宮殿となっていた。
「あの子らにもこまったものです。王であるわたしたちがいるときはまだいいのですが、いないところでは何をしているものやら。ただ・・・ご承知置おき下さい。これが妖精というものだ。だが、ときおりゆきすぎないように目をひからせていなくてはなりません。」
王は苦笑いした。女王はフッと微笑んだ。
女王はふれるとこわれそうなくらいはかなくうつくしいひとだった。唇だけがほの紅く膚は透けるようだった。無口で、ときおりたてる笑い声は鈴をふるようだった。
食事を済ませると、女王の提案で、王がノワールを、女王がブロンを、それぞれの国を案内することになった。
王は地下を、女王は苑を、それぞれ治めているのだった。
ノワールは一瞬不安になった。
この女王の笑みが、そうさせた。
よく掴めない彼女の笑みは、ノワールにはよく理解できなかった。
だが、とにかくも魅力的だったのである。
その不可思議な魔力のなかに、ブロンが取り込まれていくようで、不安になった。
自分には理解できない世界に・・・ブロンが「存在」していくようで、怖かった。
ブロンはフッと笑った。
「行って来いよ・・・王様がお前に見せたいものがあるって。」
ノワールは王を見た。
王は王で、不思議な笑みをしていた。
だが妙に安心させる笑みに思えた。
「この、大地の内部への入り口を見たくはないか?」
ノワールはたちまちその言葉に惹かれた。

王が連れて行った大地の内奥は、暗黒でない。
降りていくにしたがってまわりは暗紅色から赤色、オレンジ色、そしてついには天空に輝き燃え滾る星ソレイユとおなじまばゆい白色にかわっていた。
やがて金属がすべてどろどろに溶けている海にでた。
「これはほとんど鉄でできた海だ。この先には突きくらいの大きさに押し潰されたおそろしく重い鉄の珠がある。」
王が言った。
ソレイユが爆発せずに、どんどん燃え尽きていくとやがてそのもえかすもまた鉄になるという。
この鉄の珠に自分達すべてがすいよせられているのだろうか。
「この星が永い時をかけて、大きな圧力や高い温度のもとにつくりはぐくんできたもの。それを手に入れるためには、おまえにはブロンが、ブロンにはおまえが、ひとりひとりの力が必要なのだ。」
王は言った。
ノワールは見つめていた。
その、燃え滾る大地の色を。

ジャスミンの香りはテンションのたかい香りである。
ラヴェンダーと相俟っていた時は淑やかさがぐっと加わっていたのに、女王がブロンを連れていったその苑は、くらくらめまいがするほどうつくしく、ほんの少しでも十分強烈だった。薔薇のように甘く誘いつつみこむ香りではなく、その高貴さに完全に支配されてしまう香りだった。
ブロンはふうっと溜め息をついた。
女王のしずかな笑顔の奥のこころはなかなか読めなかったが、朝いちばんのジャスミンから採る精油がもっともうるわしく、一滴のオイルを採るのに大量の花を要するという話は興味深かった。
この世界は気がとおくなるような時を費やして造られているのだ。
突然、女王の足がとまった。
霞のようにふっとゆらいだかとおもうと、その場にばったりと倒れた。
ブロンは慌てた。
「水を・・・」
そう呟いたと思うとふたたび女王は気をうしなった。どうしたらいいのかすぐに判らずブロンは女王を抱きかかえたままあたりを見回した。
香りはさらに強くなっていて、ブロン自身倒れてしまいそうだったのだ。
そこへひらひらと小妖精たちがふたり翔んできてさざめいた。
「女王様はいつもの発作よ。心配ないわ。お水を飲めばすぐに治るの。案内してあげるから一緒にきて。」
ひとりが女王のそばに残り、もうひとりがブロンのまえにたってひらひらと翔んだ。あまりの手際のよさと有無をいわせぬその様子に一瞬面食らったが、いつものことで慣れているのかも知れなかった。
「早く。」
先に行った妖精がせかした。
ブロンは慌てて従った。
そして、泉にたどりついた。
「なにか水を汲むいれものはないのか?」
ブロンは尋ねた。フッと妖精は微笑んだ。女王の笑顔に似ている・・・。不意にそう思った。これがここの妖精たち独特の笑顔なのだろうか。
「あのね・・・ここでお水を汲むときは衣服を脱がなきゃイケナイの。」
そういうとどこにいたのか、何人もの妖精たちがひらひら翔んできて鈴のようにころころ笑った。
そうして皆裸になって水の中でばちゃばちゃとした。
水もまたジャスミンのつよい香りがしてブロンはだいぶ思考力を失いめまいもして、キャッキャまつわりつきはしゃぐ妖精たちにされるがままに裸になった。
ブロンは泉のなかに足を踏み入れた。
わあっとたくさんの妖精たちがいっせいに鈴が鳴るような歓声をあげながらあつまってきた。
目の前がくらくらとしてまっしろになった。
ブロンはそのまま水辺で倒れてしまったのだった。

ときおりブロンは意識をとりもどし、混沌とした夢のなかをさまよっていた。
ブロンは妖精の女王のすがたをみたようにおもった。女王は妖精たちとなにか話していた。そうしてブロンにちかづいた。
女王はブロンにキスした。
そうして、首筋から胸に唇を這わせ、そのしなやかでほの白いからだ全体を優しくつつみこんだ。
小妖精たちもひらひらとあつまってきた。
ブロンはジャスミンの花のベッドに横たえられているようだった。
目をあけ、おきあがろうとするたび強い香に酔わされ気絶した。
女王は、優しくブロンの胸のちいさな突起に口づけた。
全身にピクッと電流がはしり、ブロンは震えた。
驚くことにブロンの体からは妙なる香があふれだし、そのすべての香を呑み尽くすように女王はしずかに吸いつづけた。
ちいさな妖精たちもあつまってきて、群れた。
体中の血が香りとなって、あふれていくような気さえして、貧血でますます目眩がした。
ブロンは全身を吸われつづけた。
ジャスミンの花の香にも呼応し、ますます夢うつつにかすかに喘いだ。
その唇にふたたびくちづけられて、甘やかな溜め息を漏らした。
「ブロン・・・男よりも、女よりも、うつくしいひと・・その眼をみせて。」
女王が囁いた。
ブロンは眼をあけた。
透き通るように美しいアーモンド・アイ。
「・・・・・」
女王は黙ってくちづけた。
女王の表情は優しいものにかわり、ジャスミンの香もすっかり優しいものにとかわっていった。
ブロンはぼうっと、けれどすべてを感じながらみつめていた。
やがて女王がそのやわらかな乳房をブロンにあたえた。
おどろくことにあたたかい乳汁が、女王からあふれた。
ブロンはしずかにその乳を飲みつづけながらふたたび意識を失くしていった。
女王はしずかにそのやわらかな髪を梳きながら微笑んだ。
「綺麗な子・・・」
眠るブロンの全身にふたたびくちづけながら、女王は囁いた。

ようやくブロンが意識をとりもどしたのは気付けのレモンとラヴェンダーの花をひとえだ、女王が胸元においてくれたせいだった。
ブロンはようやくおきあがった。
妖精たちがブロンに服を着せ掛けた。
ブロンは終始無言だった。
女王もだまって微笑み、レモンでこしらえた飲み物をブロンに飲ませた。
ふたりは宮殿にもどった。
妖精王とノワールももう、もどっていた。
「なんだかふたりとも妙にうつくしいな。ふたりとも膚がまえ以上にまったりとして唇も紅い。」
妖精王が首を傾げた。
不安そうにみつめるノワールの目を見ながら、ブロンはフッと微笑んでみせた。
王と女王はふたりにひとつのものを与えた。
それは、ちいさな竜のこども。
名は、シェンと言った。

永遠につづく・・・

第4章

  

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